忙しい・充実・別れ

<概要>
この時期は仕事が2つ以上あって、忙しかった。
フィジーに来て3,4ヶ月はやることが見つからず苦しい思いをしていたが、その鬱憤を晴らすべく仕事に励んだ。
サラリーマン時代は仕事が忙しいと不平を漏らしていたが、この時は忙しいのが嬉しかった。

協力隊員の任期は2年なので、出会いと別れが多い。そしてこの時期、同居人の岸田さんと酒飲み友だちの花沢さんが帰国した。
この二人には世話になったし、楽しい時間を共に過ごさせてもらって感謝している。
俺はこの時まだ任期は半年ぐらいで、あと1年半フィジーで活動しなくてはならなかった。
道のりは長いが、日本に帰りたいとは思わなかった。自分のはまだ何も成し遂げてない。活動はまだまだ始まったばかりなのだから。

9月1日
いつもはそうでもないのだが、今週は忙しい。コンポスト実験と金曜日にある3Rプロジェクトの立ち上げ式の準備が重なっているからだ。午前中はパイロットエリアの住民を回って歩き、午後はコンポストマニュアルを作成していた。
9月になり、日本だと季節は秋に向かうが、フィジーは常夏なので特に変化なし、感想なし。

9月2日
今日は午後から急激に忙しくなった。日記を書く時間すら惜しい。ようやくマーケットゴミのコンポスト実験が始まったのでそのモニタリングを実施した。しかしモニタリングの前に、分別収集が不完全なため、コンポストの原料にプラスティックが多数含まれていたので、腐りかけた臭い生ごみから一つ一つ手で取り除いていった。今でも鼻の奥がゴミくさいような気がする。オフィスに帰ってきたら、3Rプロジェクト立ち上げ式のパネル作成を依頼されたので取り掛かっていたが、4時半になったので帰宅した。しかし、時間がないので家に仕事を持ち帰って作業を続けた。その後は環境シンボルコンペティションの結果発表のスピーチ原稿を作成して、その後マーケットコンポストのモニタリング用紙を作成した。一日一歩主義のはずが今日は4歩ぐらい進む事を余儀なくされた。多分明日はもっと忙しい。もう寝る。

9月3日
今日はは忙しすぎて、日記を書く時間もあまりなかった。朝から明日の一大イベントのパネル作りに携わり、昼前にボランティア調整員の視察があって、昼からはモニタリング実験で、帰ってきてからパネル作りで定時で終わらず、初めて残業した。帰ってきてから調整員と意見交換会があって、ワインを一瓶以上空けて、泥酔して就寝した。

9月4日
loanching1ジャイカ廃棄物プロジェクトの一大決起集会が実施された。リサイクル、コンポスト、剪定した草木の処理、廃棄物処理場の改善等の筋道をこれまでに立てることが出来てこれからが本番ですよ、と世間に知らしめるイベントである。

午前の部と午後の部があった。午前の部は廃棄物処理場でジャイカの援助で投入された機材の引き渡し式があった。ジャイカフィジー事務所の所長がメインゲストでその横に大臣が座っていた。私は写真撮影係でそれなりに忙しかった。午後の部はプロジェクトのパイロットエリアの広場で地域住民を対象としたイベントがあった。この中でかねてから私が携わってきた環境スローガンシンボルコンペティションの結果発表を行い、私もコンペティションの総括の短いスピーチを行った。この日のイベントは参加者も大勢集まり成功だったと思う。
イベントの後にその環境コンペティションのパネルをじっと見つめているインド系フィジー人の女の子がいて、興味あるの?と聞いたら、これはすごく良いイベントだった、とか私も環境教育やりたいとか熱いメッセージをいっぱいもらってうれしかった。たった一人に対してでも心に残るようなことができたみたいなので、私のやったことはボランティアとしては成功であったと思う。
夜から市役所の会議場で打ち上げがあって、9時半ぐらいに帰ろうとすると、ジャイカフィジー事務所の所長に誘われて、ホテルのバーで飲んだ。所長と田宮職員とコンポスト専門家のYさんと私の4人だった。所長のアドバイスというか説教に対して、私は頷くことを良しとせず、いちいち反論して所長を困らせた。ハイペースでウイスキーをあおったので最後は泥酔してしまい、田宮さんに家まで送ってもらった。

9月5日
今日は隣町のナンディーで昨日と同様のイベントがあるのでその応援に行った。朝一番で所長と田宮さんに昨晩のお詫びしたが、2人とも楽しそうだった。ナンディーのイベントはラウトカと違って、警察の楽団の演奏があったり、住民のパレードがあったりと楽しげだった。また、吉川さんも環境コンペテティションの表彰や風呂敷教育で活躍していた。
イベントは昼ぐらいに終わって、夜から同居人岸田さんとその同期隊員の麻生さんのお別れ会が我が家で開催された。夕方から料理研究をして、結局フィジーの野菜でお浸しを作って出した。その他集まった皆さんもそれぞれ御馳走を持ってきてもらって盛況なパーティーになった。総勢13人が集まるという岸田さんと麻生さんの人望が表れた結果であった。この日は私が主役ではなくホストなのでいつものごとく泥酔せず、めずらしく人にビールを注いで回った。夜が更けて、少しずつ人が帰って行った。いつもは真っ先に潰れる私であるが、この日は最後まで、3時ぐらいまで話をしていた。

9月6日
昨晩は遅かったが、今日も7時に起きた。そして大量の皿洗いを済ました。その後岸田さん松本さん吉川さんで昨日の残り物とカレーを食べた。その後吉川さんを送ったあと、新聞を買って家に帰って、少し料理研究をして後はゆっくり過ごした。思えば今週は忙しかったので、疲れを取って明日に備えたい。

9月7日
月曜日。これからは出来上がった、新しいゴミ処理システムをモニタリングしながら回す段階だ。私は主にコンポストの実験モニタリングに携わっていく。カウンターパートは忙しそうなので今後は私の役割が大きくなってくるかもしれない。うまく活動を軌道に乗せられるか、状況に逆らわず、波に乗っていきたい。課業後は同居人岸田さんにゴルフの稽古をつけてもらった。彼とともに過ごす時間もわずかなのでさびしい限りである。

9月8日
compostjou最終処分場にあるマーケットゴミのたい肥化の実験施設。21の区画に分かれて毎日ゴミが置かれていく。管理は写真に写っている専門の作業員が行う。

マーケットゴミのたい肥化実験のモニタリングが本格的に始まった。これから基本的に独りでデータとって整理することになる。また、しばらく忘れていたが、処分場周辺の水質調査についてもジャイカ専門家からやるように言われたのでその準備にもとりかからなくてはならない。これからしばらくは忙しくなりそうだ。

9月9日
朝からモニタリング。昼からマーケットのゴミ箱にポスター張りに行った。帰宅後は岸田さんにゴルフの指導をしてもらった。彼とゴルフできるのはこの日で最後なので説明を受けつつコースを回った。彼が私の今後のラウトカ生活のために色々残してくれようとしている気持が伝わってきて嬉しかった。夕食後岸田さんは私のためだけに活動の最終報告のプレゼンをしれくれた。聞いていて、本当に密度の高い、熱い2年間であったことがひしひしと伝わってきた。私もそうありたいと思った。

9月10日
昨日同様、朝からモニタリング。昼からマーケットのゴミ箱にポスター張りに行った。マーケットのベジタブルゴミ箱以外のやつが少ないので増やすように提案しようと思った。あまり分別してくれない原因の一つであるだろう。帰宅後はまたまた花沢隊員が家に来たので、酒盛り。11時過ぎ就寝。

9月11日
マーケットで独り分別収集の張り紙を張っていると、外人が変わったことやっているという好奇の目で見られてしまう。とはいえ、それをチャンスと思い、分別収集の大切さや、野菜屑がコンポストに変わることを周囲の人に説明しようとするのだが、語学力のなさから、なかなかうまくできない。変なガイジンで終わってしまった。

●過去を振り返って
本当に自分の語学力のなさには泣かされた。

9月12日
sugerfs土曜日。昼過ぎからラウトカ市の年に一度のお祭り「シュガーフェスティバル」に行ってきた。この手のお祭りはフィジーのある程度の規模の街で一年に一回開かれるもので、ラウトカのお祭りはフィジー第二の都市だけあって、首都スバに次ぐものだという。しかしながら、今日が初日で(一週間続く)、昼間ということからか、意外に閑散としていた。
フィジーのお祭りには移動式の遊園地が大きな広場にやってきて、大人子供ともに楽しめるようになっている。よくあるのが回転速度のすごく速い観覧車で、日本の観覧車のように、ゆったりと高所からの景色を楽しむものではなく、スリルを楽しむ絶叫マシン系である。結構オンボロなので、落下して死ぬ人もいるとかいないとか。今回私も初チャレンジしたが、始めは怖かったが、何度も何度も回るので、車酔いのような感じになってしんどくなった。

その後、会場を一周したあと、会場の端の木陰で、吉川さんが持ってきた良いワインを飲みながら屋台で買ってきたバーベキュー弁当を二人で突っついた。winmesi

しばらくして、同期隊員小林さんとラキラキの松下さんと、大使の料理人の高田さんとなぜか彼らと一緒にいたラウトカ隊員美川さんと合流して、我が家に集合した。彼らは家に入るなり冷蔵庫拝見だとか、お部屋拝見だとかで、ビデオ回しながら変てこなレポートをやっていて頭が痛くなったが、料理が始まると頼もしい人たちに変身した。今回は料理人高田さんに料理を解説してもらいながら、腕をふるっていただいた。後の二人は弟子?である。出来たのは、スパゲティー2種とだし巻き卵とから揚げと焼きナスサラダでいずれもおいしく、今度自分でも作ってみようと思った。

9月13日
日曜日。雨。朝方に客人を見送ったあとは雨音を聴きながら静かに部屋で過ごした。

9月14日
晩から、チームラウトカ4人で、同居人岸田さんのラウトカ最後のお別れ会をした。私はこれまで研究した最終成果であるファイナルココナッツラーメンを作った。メンバーがそろったところで、麺をゆで上げ完成させたところ、突如岸田さんの職場の人が来て、彼らがもってきたフィッシュカレーに注目が集まってしまい、ラーメンは放置され、翌日コンポスト容器にそのまま移動しましたとさ。
それはともかく、岸田さん特製のローストチキンを学んだので、今後ラウトカチキンとして伝えてゆく所存である。その後、サプライズ的に近所の松本隊員の誕生日会を続けて開催した。31歳、同じ年です。頑張ってください。岸田さんは私のラウトカ生活で最も世話になった人であり、本当に感謝している。明日彼はラウトカを出る。さよならは言いません。また会いましょう。

9月15日
仕事は適度に忙しかった。水質調査を私の主導でやることになった。ようやく専門が生かせそうである。帰宅後、岸田さんから色々申し送りとアドバイスと、そしてお宝をいただいて、ビールを一杯のんでから、見送った。日が暮れて、ガランとした広い家で特になにかをやる気もなくぼんやりしていた。岸田さんはかなりまぶしい人だったので、いなくなって一気に雰囲気が暗くなったような気がした。今日はラウトカ暗黒時代のはじまりの日として記憶されるだろう。

9月16日
今日は午前中が会議だったので、午後からモニタリングに行く予定だった。カウンターパートに車の手配を頼んだら、2時から行こう、とのことだったが、3時にしてくれと言われ、3時には彼はどこかに行ってしまっていて、3時半になって、約束をすっぽかされたことにようやく気付いた。コンポストヤード(最終処分場の片隅)は歩いて行ける距離なのだが、以前他人の都合に左右されるのが嫌で、独りで歩いていったことがあるが、あぶないからと、カウンターパートに止められた。しょうがないので今日はジャイカチームに頼んで車を回してもらった。多分カウンターパートは忘れていたわけではないと思う。面倒臭かったのでほっとかれただけだと思われる。情けない話だ。

9月17日
私の所属先のラウトカ市役所保健課には毎日のように、臭いとか汚いとか、野良犬がうるさいとか、保健衛生に関する多数のコンプレイン(苦情)が寄せられる。そして私もコンプレインを受けてしまった。
今日の昼、うちのボスが「お前のコンポストが臭いと隣人からコンプレインがあったぞ」と言われた。それはあり得ないことで、毎日チェックしているがちゃんと蓋をしているので臭いは外にほとんど漏れていないはずで、まして隣の家まで届くわけがない。それはともかく、文句があるなら直接家に言うべきであると、ボスに言った。
そして、この件に関しては私が直接隣人と話をつけに行くと伝えたが、ボスはそれを否定した。確かに前々から気付いていたが、フィジーでは隣の家に文句があっても直接言わないで、役所に訴える。
以前ホームステイ先の息子が音楽をガンガンにならしていたら、隣人の訴えにより警察が来て、罰金を取られたことがあったが、多分直接文句を言いに行ったら、すぐ喧嘩になって大変なことになるからそういう習慣になっているのだろう。とにかくコンプレインを聞いた時はむかっときたが、思い当たることがあった。昨日から、家の排水溝が詰まって下水があふれていた。多分それだろう。帰って確認すると確かに臭かったので、汚水にまみれながら掃除した。それにしても一日臭かっただけで苦情が来るとは、今後も気が抜けない。

9月18日
今日もコンポストの一日だった。適度に忙しい一週間だったので、適度に疲れた。ワイン買ってきたので独りで飲んで今日は寝るとする。

9月19日
土曜日。朝はいつも通りの時間に起きて、首都スバに向かった。同居人の岸田さんを含む先輩隊員のお別れ会が開催されるためである。2時開始であるが、一時半ごろついたので、ワインを買って先に飲んでいた。そして開始時刻にはすでに出来上がって半分寝ていた。
しかし、お別れ会では私も出し物をやることになっていた。
「耳の裏がかゆい」、ただそれだけをマイクで10回ぐらい節をつけて連呼して退場した。会場は異様なざわめきに包まれた。
一部、花沢さんとかは爆笑していた。
その後は酔っぱらいすぎて記憶が定かではないが、二次会が始まる時間になっても私は独りでドミトリーで寝ていた。しかし電話で起こされたので二次会の会場(ナイトクラブ貸切)に向かった。そこで、ゲームがあって、参加者28人が勝ち抜きで2ドルをかけてじゃんけんをして勝者がそれを総取るというのがあって、なんと私が勝ち抜いて56ドル(3000円程度)を手にしてしまった。その後、リクエストがあったので、ソロでギターで歌を歌った。それからはドミトリーに帰って3次会。深夜2時ぐらいまで飲んでいた。

9月20日
日曜日。昨夜あれだけ深酒したのにいつも通り7時前に目が覚めてしまった。だれも起きてなかったので退屈だったので本とか読んでいたが、9時にドミを出て、タウンでラーメンを食べてからミニバスで帰った。

9月21日
月曜日。普通に仕事して終わった。

9月22日
仕事の後、同居人岸田さんや飲み友達の花沢さん、家にも来たことのある、AさんHさんTさんSさんの19-2の隊員の最後の夜を、空港のあるナンディーまで訪問しに行った。夕食は先月飲みすぎて便所でゲロ吐いた日本食レストランの大黒である。皆さん次の日には日本で当たり前のように日本食を食べられるのにその選択は意外であったが、私にとってはすき焼きを久しぶりに食べられて良かった。
その後は、ホテルに移動したが、私はレストランで焼酎を飲みすぎ、すぐにベッドで寝てしまった。しかし2時ごろに起きだして、なぜか同じベッドの隣で寝ていた花沢さんも同時に起きて「飲む」ということになった。彼が持ってきた酒コレクション(高級ウイスキー等)をちびちびやりながら、とりとめのない話をぽつぽつと話した。3時半ぐらいに私は再びベッドに戻った。明日は5時起床らしい。

9月23日
5時半起き。つい2時間前まで飲んでいたので吐き気がしてしんどかった。6時過ぎにみんなで空港に向かった。帰国する皆さんは飛行機に荷物乗せたりするのに大変そうだったが、私はそんな彼らを1年半後の自分の姿を想像しながらぼんやりと眺めていた。
岸田さんや花沢さんはこれまでにずいぶんと話したので、今になって特に話すこともなく、出発の間際まで淡々と過ごした。そして、国際線のゲートの前、いよいよ最後の時に一通り別れを惜しんだ。岸田さんとは最後にお礼と今後の再会を誓おうと思ったのだが、ぎりぎりの時に彼のローカルの仲間が次々にやってきてタイミングを逃してしまい、握手だけしてあっさり別れてしまったのは残念だった。
しかし改めて彼の人望の厚さを思い知らされた。2年間彼が、この国でどう過ごし、現地の人とどう接してきたのいかが垣間見えた。
なお、花沢さんにはローカルのカウンターパートとか来ないんですか?と分かっているのに聞いたら、「彼らは俺が何日に帰るのすら知らない…」との返答。私も多分そうなりそうな予感である。
岸田さんにはまた日本でラウトカ同窓会をやる約束なのでサヨナラは言わなかったが、花沢さんはまた日本を出るそうなので、そうなればもう会うことはあるまい。
だから、きっちりと「さよなら」と言っておいた。それにしても、別れに際しても皆さん満足げな顔をしていたので(私の主観)あまりシケッぽくならないで、お別れ出来て良かった。皆さんを見送った後、花沢さんの酒コレクションの余りを袋一杯に詰めてラウトカに帰った。9時ごろに職場についてそこからは普通に仕事。タフな一日だった。

●過去を振り返って
空港に近かったから多くの隊員を見送ってきたが、この時の見送りがもっとも印象的であった。
同居人の岸田さんと酒飲み友だちの花沢さんがいなくなるのは寂しかった。
本当に岸田さんは素晴らしい人で、例えるなら皆を明るく照らす太陽みたいな人だった。俺のほうが歳上なのだが、彼には全然かなわない。
花沢さんは結局海外には行かず、日本で就職した。俺が日本に帰国した後、一度会いに行った。歓待してくれて二人で一日中のんだくれた。
この二人に出会えて協力隊に参加してよかったと思う。

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