フィジー初日~首都で研修

2009年3月24日:初日【新しい朝】
fijihinode

機内で迎えたはじめての夜明け

フィジーに向かう飛行機の中。特にすることもないので、シャンパンのんで気を失っていた。起きて所在なくしている内に夜が明けた。飛行機の下には雲と海しかなく、まるで雲が海に浮かんでいるように見えた。
しばらくするとぼつぼつと島が見え始めて最後にひときわ大きい島が現れた。フィジーだ。南の海の印象からフィジーのイメージカラーは青という強かったが、上空から見下ろすフィジーは緑一色であった。飛行機の高度が下がるにつれ、国土の様子もはっきり見えるようになっていくが、緑の中に集落が点々と見える田舎の風景がただ広がっていた。
midori

午前7時到着(日本時間午前4時)。飛行機から降り立つと、やはり暑い。しかしそれは予想通りである。他は特に印象なし。同じ熱帯の国であるタイやインドではまず、排ガスとフルーツの入り混じった匂いがしたものだが、それに比べるとさわやかな印象である。
空港ターミナルに入るとギターとウクレレをもった男3人楽団から歓迎される。その後入国審査は係員が何言っているのかあまりわからなかったが、適当に想像して適当に話を合わせているとOKだった。荷物も検査されたが、めんどくさかったが、物品は没収されなかった。お土産か自分の持ち物かということを何度も聞かれ、全部自分のものだと言い張ったらOKだった。なお、空港には外貨交換所があったが、成田でフィジードルを1ドル=64円ぐらいで換えたが、ナンディー空港では58円ぐらいだった。ぼったくられた。しかし昨年は70円を超えていたので今は円高の恩恵を十分に受けられるようである。

空港にはJICAから委託されている旅行会社のかたが迎えに来てくれてそのあと、チャーターのマイクロバスでナンディーから首都スバに向かった。その間約4時間。この道路はフィジーで最重要の幹線道路なのだが、路面状態は良くなく、片側一車線で狭い。しかしすれ違う車は多くなく、大して問題ないようであった。つまり一言で言うと人口密度の低い田舎なのであった。道路の両側にはサトウキビ畑が広がっていた。これは日本だと田んぼのところだが、フィジーではサトウキビ畑が心の風景なのだろうか。

しかしながら南太平洋随一の都会といわれるスバ市内に入るとさすがに人も車も増えてきて、街らしくなってきた。人口約16万人ということだが、それ以上に都会に見えた。ドミトリーに到着してしばらくして街の中心にあるJICA事務所に行った。この日はケータイを支給されてあと、いくつか諸注意を受けて解散となった。なお昼食はフードコートでベジタブルカレー(オクラカレー)を食べた。2ドル95セント(約180円)。値段相応の味だった。

さて4時ぐらいから解散になったので、HMCCという大型スーパーで買い物してドミトリーで自炊して食べた(ミートソーススパゲッティー)。私は作らなかったので皿洗いで貢献した。ドミトリーについては後日詳細を記載することにして、この日は疲れたので12時ぐらいに寝た。

☆本日の感想
初日であるがあまりストレスを感じることのないスムーズな一日であった、などと初めなのにクールすぎる感想か。

●過去を振り返って
補足だが、フィジー赴任後はすぐに仕事をするわけではなく、首都で現地語や現地事情についての研修を受ける。これは他の国の隊員も同じはずである。
この期間は同期隊員と一緒にいるので日本語で会話できるし、それほどストレスもない。
本当の戦いは、3週間の研修のあと、一人で任地に赴いた時に始まった。

3月25日:2日目【第一歩】
この日から4月8日までの約2週間、首都スバで同期隊員(9人(内1人シニア))現地訓練を受ける。フィジーで生活していくための基礎と現地語を少しだけ勉強する。

さて今日は午前6時20分起床。エアコンも毛布も必要なかった。暑かったが寝るにはちょうど良い温度だった。シャワーしたあと、物思いに耽っているうちにみんな起きてきた。朝食は昨日買っておいたシリアルとパンを食べた。食べ物については追々記載していく。
8時半集合であったが、9時に銀行口座を開設しに行った。戻ってきて事務所の次長から講話をいただいたが、はじめと最後しか記憶にない。不思議だ。昼食はJICAの調整員の肩と中華風きしめんwithチキンを6.8ドル(約400円)で食べた。味はまあまあで、日本人好みだと思う。人気店だそうな。
午後から健康管理員の方から健康上の注意を受けた後、スバ市内の病院に挨拶をしに行って、最後に行った顧問医のところで腸チフスの予防接種を受けた。この日はこれで終了。買い物してバスで帰った。はじめ乗るバスを間違えて2度手間だったが、ゴミゴミした市内をバスから見るのは楽しいのでそれはそれで気にしない。しかし周囲に8人の仲間がいることは、たのもしいのだが、修行にならないような気がする。

☆本日の感想
特に困難な出来事は起きなかった。はい、素晴らしいことです。まるで日本にいるみたいです。

3月26日:3日目
午前中
住居に関するオリエンテーションを受けた。水道、電気、インターネットの開始の方法の説明を受けたが、基本的に先輩隊員と同居することになるので、あまり気にしないことにした。
フィジーの文化について簡単に説明を受けた。しかし、言葉に関する話がほとんどだった。英語が聞き取れないのでほとんど理解できなかった。
昼食はマトンカリーとマンゴジュースをひとりで食べた(500円程度)。
午後からは環境局とその監督省庁に挨拶に行った。それなりに偉い人に対応していただいたが、英語が聞き取れず、ほとんど座っているだけだった。
4時30分頃事務所に帰ってきてこの日は終了。
スバ市の建物には大抵エアコンが取り付けられているので、事務所の人にフィジー人の所得について伺ったが、フィジー人(ネイティブ)で約1000フィジードル(約6万円)、インド系で約1500ドルぐらい(約9万円)とのことであった。フィジー人は土地を持っているので何とかなるらしいが、インド系はそれでは苦しいらしい。私たちボランティアで約700ドルで、住居も提供してくれるので家賃はないし、やっぱり恵まれているのだと思う。この金額は同僚には言わないほうがよいか。
夜は、韓国料理店で、スバの環境隊員として2年間の活動を終えられたYさんのお話を伺った。Yさんの実績は報告書で概ね知っていたが、実際に話を聞けてよかった。Yさんの顔は何かをやり遂げた後の漢のそれだった。2年後はかくありたいと思った。
なお、料理は(多分)本格的でおいしかった。6人で177ドル(約1万円)で35ドルはらった。

3月27日:4日目
フィジーの人種について。現在50パーセント強のネイティブフィジー人と40パーセント程度のインド系フィジー人とその他中国人等で構成されている。土地の所有は先住民であるフィジー系住民にしか認められておらず、フィジー系が経済的、社会的に優位である。しかしながら、インド系の方が勤勉であり、金儲けがうまい。両者は表立って仲が悪いわけではないが、溶け合うことなく多少の摩擦はあるようである。
午前
インド人カルチャーについての講義を英語でうけた。理解度30パーセント程度。
スバ市の危険地域についての説明を受けた。その後車と徒歩で実際に現地に行ったが、危険地帯だから近づくなと言われた地域ほど面白そうだった。慣れたら一人で行ってみようと思う。
昼食はフィッシュアンドチップス3.8ドル+オレンジュース1.7ドル(330円)。おいしかったが、健康に悪そうだった。
5時半から日本に研修に来たことのあるフィジー人の方々から歓迎会をしていただいた。はじめに挨拶があってから歓迎の儀式を受けた。ガバ(ヤンゴナ)(コショウ科の植物の木の根っこの粉から作った、泥水のような飲み物で沈静作用があるという。南太平洋地域では儀式あるいは日常においてもよく飲まれている。)初めて飲んだが、妙な味はしたが、まずくはなかった。ただ、1はいしか飲まなかったので、感覚の変化はなかった。その後はフィジーの伝統的な踊りと歌を披露してもらった。すごく明るい気持ちになった。また、歓迎の意を強く感じた。次にインド系の踊りを披露していただいた。2人の姉妹の踊りは素晴らしくて、終わった後も気になって、なんというか、写真の通りである。
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その後フィジー料理とインディアン料理をいただいたが、フィジーに来てから最もおいしい料理であった。しかしその後は取材にきたマスコミに対して、満足な英語で答えることができずに情けない思いをした。しかしシニアボランティアの方に勇気づけられた。

本日の感想
歓迎会は楽しかったが、英語ができないと何もできないことを再確認した。

●過去を振り返って
インド系フィジー人の割合は年々減りつつある。そして出稼ぎの中国人が増えてきている。
なお、残念ながらこのシニアボランティアの方は3ヶ月ぐらいで帰国してしまった。

3月28日:5日目
今日は土曜日で休日。午前中は街のスーパーで買い物。時間が余ったので、その後マーケットをうろうろ。魚介類を道端で、保冷もせずに売っているのにはおどろいた。この暑さなのですぐに腐りそうだが大丈夫なのだろうか。
物価に関してだが、日本より高いものも安いものもある。しかしやろうと思えば日本よりかなり安く生活することが可能であると思われる。フィジー国内で生産しているものは安い。肉類はオーストラリア等から輸入しているようだが、それでも日本より安いと思われる。しかしなぜか魚は安くない。このあたりはいずれ詳細を記載したい。

昼からはドミトリーで先輩隊員による歓迎会があった。おいしい食事とお酒でもてなしていただいた。出し物もあって楽しかった。
しかし昼間から酒を飲み続けたので、夕方には酔いつぶれて、深夜に目が覚めてしまって現在こまっている。

本日の感想
今日も快適だった。

3月29日:6日目
今日は昼飯当番だった。インスタントラーメンにした。ツナ味だったがはっきりいってまずかった。その後は一人でドミトリー周辺を散歩した。平和に思えたが、後から聞いた話ではこのあたりは危険地域だそうな。その後は部屋で資料読んだり、ウクレレの練習して過ごした。

本日の感想
平和すぎる…

3月30日:7日目
午前中はジェンダーとHIVの話を聞いた。午後からはフィジー語の講義であった。フィジーでは公用語である英語のほかにフィジー語とヒンディー語が話されている。フィジー系でもインド系の住民も英語が話せるので英語だけで生活も仕事もできるが、現地語ができると何かと便利で受けもいいので、少しではあるが勉強することになっている。私の行くラウトカ市はインド系住民の多いところなのでヒンディー語を主に勉強するが、フィジー語も挨拶程度には知っておきたい。しかし3時間程度で挨拶は覚えた。しかし少し使わなかったら、すぐに忘れるだろう。
戻ってきて、ご飯食べてワイン飲んで寝た。しかし、いつの間にかベッドの上にいた。駒ヶ根の時と同様Yutaroさんが酔っ払った私の面倒みてくれたそうな。

ドミトリーのネットはよく使用不可能になるので困る。つかえてもかなり速度が遅い。日本のADSLの十分の一ぐらいか。月額2000円程度らしいが、赴任先ではどうしようか。

3月31日:8日目
今日から4日間ヒンディー語の授業が続く。しかし今日は一日目にしてはかなり進んで、簡単な会話ができるぐらいの内容の講義であった。ヒンディー語は語順が日本語と大体同じで、文法も英語より簡単である。せっかくなので2年間で話せるようになりたい。できるようになったら、10億人と話せるようになれるし、メリットは大きい。
しかし、今日は膨大な内容であったので、全部は覚えていない。

ところで1週間目にして腹を壊した。食べ物か夕べの酒の影響かしらないが、しばらくおとなしくしておこう。昼食はプレーンヌードル3.5ドル(210円)。やさしい味がした。
今日はスーパーでラム酒(41ドル:2500円程度)を買ってきたのでちびちびやりながらヒンディー語の復習をすることにしよう。

→飲みすぎて勉強にならず…。

●過去を振り返って
フィジーのヒンディー語は本場インドのヒンディー語とは違っている。ヒンディー語とインドの様々な地方語、英語、フィジー語が混じった言葉だそうな。
なお、ヒンディー語は話せないまま2年が終わった…。

4月1日:9日目
昨日は腹の調子が悪いにも関わらす限界まで飲んでしまい、さらに調子が悪くなってしまった。さらに夜中は犬や酔っ払いの声がうるさく、蚊にも刺されてしまい結局4時に起床した。その後勉強したり、ネットやったりしていたが、何度もトイレに駆け込むことなり、8時にドミトリーを出発するときすでに疲弊していた。
今日のヒンディー語の授業はついていけない気味だった。
帰ってきて、ウクレレの練習とヒンディー語の復習をして、今日は酒も飲まずおとなしく寝た。
その他の出来事;夕立ちにあって濡れた。ウクレレ2000円ぐらいで売っていたがおもちゃみたいだった。その楽器屋の店員がヤマハのシンセサイザーで一曲歌ってくれたがなかなかうまかった。今日もヌードル食べた。(ワンタンヌードル4.8ドル280円)
夕立ちのせいか、夜は涼しく、初めて毛布が必要となった。

4月2日:10日目
昨日は酒も飲まず、早めに寝たので朝は調子が良かった。昨日は30%ぐらいの調子であったが、60%ぐらいまで回復していた。
今日も一日ヒンディー語の授業であった。単語は覚えられても会話ができないのがもどかしい。私の赴任先はインド人ばかりだそうなので、もう少し頑張りたい。
昼休みはローストポークヌードル(6.5ドル:390円)でこれまでで一番美味であった。その後Jacksという店でセールをやっていたので、ブラシャツ(アロハシャツ)を2枚買った。合わせて2000円ぐらい。

今日も少し楽器の練習と、語学の復習をして、酒飲んで寝るとしよう。

4月3日:11日目
今日は昼からヒンディーのお祭りに参加させていただいた。名前は忘れたが、年に一度の、宗教的なお祭りだそうな。会場は一般家庭に仮設の会場を設営したようで、ローカルな人たちが数十人集まっていた。われわれJOCVもゲストとして迎えられた。ステージに数人の男たちがいて、聖なる言葉?とその間に歌を歌って(歌のほうが長い)祭りは進行していった。かなり賑やかであった。踊っている人もいて、失神した人もいた。われわれも周囲の人の見よう見まねで儀式に参加した(写真:お供え物をしているようす)。最後に食事を頂いて帰った。帰りのバスも楽器を持ち込んですごくけたたましかった。
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JICAオフィスに戻って少しヒンディーの授業をやって4日間の語学の講義が終了した。
もどってからは飯食って、楽器弾いて、少し勉強して酒飲んで寝るといういつものパターンだった。

次の日から2泊3日で、フィジアンの村にホームステイしに行く。しかしサイクロンが来ているらしくどうなることやら。

●過去を振り返って
基本的にこれで首都スバでの研修は終わり。
今振り返ると酒ばかり飲んでいる。
俺は元々酒好きというのもあるが、酔っ払うことで、この先一人で任地へ赴くプレッシャーから逃げたかったのだ。

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