環境シンボル&スローガン募集キャンペーン

<概要>
環境シンボル&スローガン募集キャンペーンというのは、町で環境活動を行う上でのシンボルマーク(ロゴ)と環境スローガンを市民から募集して決めるというイベントだ。
となり町のナンディでやることになったので、ラウトカも追随してやることになった。
これを企画した同期隊員の吉川さんは本当にスゴイ。俺にはパクることしか出来なかった。
俺がやったのは募集のチラシを作ることと、同僚と一緒にチラシを配りに行くことだった。
まあ、自分の企画ではないし、作業も大したことないので自分の業績とは思っていないが、はじめて意味のある仕事をさせてもらって、自分の存在意義に悩んでいたのも少し気が楽になった。

また、ホームステイが終わって、隊員の家に引っ越した。
ホームステイは本当に大変だった。
そして後味の悪い終わり方をしたことは、今でもちょっとまずかったと思う。

5月27日
急遽、環境シンボル&スローガン募集キャンペーンを担当することになった。隣のナンディー町の吉川さんがやるので、こちらもそれにあわせてやることになった。事実上これが初仕事になるので何としても成功させたい。といっても、これはJICA専門家のサポートもあるし、ナンディーと一緒にやるので、いわば今回は補助輪付きで進めることができる。これでキャンペーンのやり方とかを学んで今後は自分で実行できるようになりたい。

まずは、来週の月曜日に開催される廃棄物関連のワークショップでキャンペーン告知のプレゼンを実施することになった。あまり時間がないので、この日は家に帰って深夜まで資料の作成を続けた。

ところで昨日まで計画していたポイ捨て調査は心の中に、そっとしまっておくことにした。

5月28日
木曜恒例の会議がナンディーであった。会議は長引いたが、議題は隊員には直接関係ないものだった。しかし、キャンペーンの話をするために居残った。また、この日の昼食は日本食レストランに行った。日替わり定食(マグロ刺身定食)が10ドル(500円)だった。刺身はもちろん、ご飯も日本米っぽくておいしく、また、味噌汁がうれしかった。特に懐かしいとは思わなかったが、やはり日本食は良いと思った。

明日は祝日なので3連休だ。今週もあっという間に過ぎ去った。

●過去を振り返って
この店はナンディにある「一休」という店だ。

5月29日
今日は朝から一時間あるいてインターネットカフェに行った。その途中、スーパーの前あたりでフィジアンのおじさんに話しかけられた。どこから来たのか、どれぐらいいるのか、名前は、など聞かれたあと袋からフィジーの民芸品みたいな棒を取り出して、私の名前を彫り始めた、3本あったので、残りのやつにもなんか文字を彫っていた。これは買わされると思ったので、自分はこの先も長い間フィジーにいるので土産物はいらないと言ってその場を離れようとした。するとあっさり握手してお別れできた。これがインドとかだったら、もう彫ったから金払えとか言ってきたに違いない。しかし、今回はトラブルにならなくて良かったが、やはり私はカモの外人に見えたのだろうか。

5月30日
今日はJICA専門家たちに誘われて、一緒に水力発電ダムを見学しに行った。
この水力発電所は本来なら立入禁止であるが、JICA専門家のコネクションで立ち入ることができた。さすがである。
行きは社内でカバをのみつつ、道を何度か間違えつつ、4時間以上かけてたどりついた。標高700m以上あるので涼しくて気持ち良かった。ダムはそれほど大きくはなかったが、この水力発電所だけでフィジー本島の電力をほとんどすべてまかなっているという。専門家に言わせれば、こんな小さなダムでそれは不可能じゃないかといっていたが、フィジーの人口は日本では小さい県程度であるし、それほど大きな工場もないので、これで賄えるのではないかと思う。
6時半ぐらいに家に帰ったのだが、ママから酒飲んだだろうといわれた。たしかに目的地でビールを一本飲んたが、4時間ほど前のことである。お前が酒臭いとお祈りできないと言われた。まあ、あと2週間の辛抱である。

●過去を振り返って
家の中で飲んだならともかく、外で飲んだのに文句言うなんて冗談じゃない。そもそも、パパは外でなら飲んでいいと言ってたし。
でも、それはこっちの言い分だ。やはりムスリムにとってアルコールは邪悪な存在なのだろう。
しかし、ホームステイは本当にストレスだった。

5月31日
昨晩の話だが、パパが高血圧で体調が悪くなって、病院に行って注射を打ってもらったという。ということで今日のご飯は野菜と魚の健康食、しかも塩分控えめ、であった。
さて今日は映画にでも行こうと思っていたが、朝から雨が降っていたので終日家にいた。来し方、行く末についてずっと考えていた。来週は忙しくなるので、その前に心身共よく休められたと思う。

6月1日
今日は廃棄物計画に関するワークショップが市役所で開催された。議題とは直接関係ないのだが、私が環境スローガン&シンボルキャンペーンのお知らせのプレゼンを実施した。しゃべりはいまいちだったが、事前に資料を作って配ったので役目は無事果たしたと思っている。まあ、初仕事としては60点ぐらいだろう。これで少しは肩身の狭い思いをしなくて済みそうだ。

6月2日
家のモシンが風邪を引いて寝込んでいる。最近は南国らしからぬ涼しさ(こちらの人からすると、とても寒いそうな)で風邪を引きやすい。私もなんとなく体調がすぐれないような気がするのでこの日は早めに寝た。

6月3日
やはり彼らの言葉が理解できない。どうしたものか。

6月4日
今日は木曜恒例の会議があった。最後で久々に隊員の意見が求められた。吉川さんは長々と高度な意見を述べていたが、私にそれができるわけもなく、エブリシングイズオーライ、とただ一言だけコメントしたら出席者一同から失笑を受けた。まあ、笑ってくれるだけましかもしれないが。

家族が次々に風邪を引いている。今日はママの調子が悪い。私だけはまだ大丈夫だ。健康だけが取り柄である。

6月5日
家で電話がなっているのにママが出ようとしない。その電話はいつもの親戚からで、芝刈り機を貸してくれ、という内容なのだそうな。芝刈り機は高価なので貸したくないそうな。普段あれだけ仲がいいのに、こういうところはシビアなのだ。

6月6日
土曜日。今日はナンディー見物に行った。一度一人で歩いたことはあるが、今日はガイド付きである。昼過ぎに行くと言っておいたが、ナンディーの魅力をたっぷりと堪能するのに一日で足りるだろうかと不安だったので、早めにバスにのったら、12時5分にナンディーバスターミナルに着いてしまった。一応5分昼から過ぎているのでOKだろうと思ったが、結局ガイドさん(吉川さん)が到着するまで1時間バス停を見学し続けた。その後すぐに昼食を日本食の店「一休」で食べた。ラーメン12ドル(600円)を注文した。フィジーでインスタントではないラーメンを食べられるとは思わなかった。味は醤油味で、インスタントに毛が生えたレベル。麺は少しモチモチしていて食感が日本のとは違う。しかし2か月以上ぶりということもあって、大変おいしく感じた。汁も全部飲んだ。また来たい。その後いよいよ町を歩いた。

ナンディーは観光の町だけあって、ラウトカと比べて垢ぬけている。歩いていて楽しい町である。また、土産物や珍しいものも売っていて、ラウトカにはない魅力がある。それをすべて味わうにはなお時間が必要であったに違いないが、この日は日差しが強く、疲れてきたのでピザ屋で小さいピザつまみながら2人でビールのんで夕方まで時間をつぶした。

この日のもう一つの目的は吉川さん所の元ハウスガールのエミを酒で沈ませる会であったので、電話して呼んだ。彼女はおんぼろの自家用車でやってきて、我々をワイロアロアビーチという夕日の見えるきれいなところに運んでくれた。しかし到着してから彼女のオンボロ自動車の窓を閉めるためにドアを分解している内に夕日が沈んでしまった。
それは残念だったが、ビーチにあるバーレストランでバンドの演奏を聴きながらワインを飲むのは非常に心地よかった。エミをつぶそうと彼女に酒を勧めても少しだけしか飲まなかった。柄にもなく、帰りの運転を気にしてのことだろうか。しかしそのかわり吉川さんが先につぶれてしまったので、時間も遅くなってきたころ合いでもあり、お開きにした。
その後ちょっといいことがあったが、私は彼女らを見送ったあと、ビーチのそばの宿に一泊した。
nadihama

6月7日
nadiasa
昨晩エミが送ってやるから明日の朝いつでもいいから電話しろ、と言っていたので電話したらつながらなかった。とはいえ、特に驚きの怒りもなく、一人で帰ることにした。せっかくなので、ナンディーの他のエリアも見たかったので1時間半かけて空港まで歩いてそこからバスで帰った。
今日は日中に家族が外出していて、すぐに家に帰れなかったので映画を2本見て時間をつぶした。

●過去を振り返って
鍵をくれなかったから家族がいないと家に入れない。これもストレスだった。

6月8日
先週頼んでおいた、名刺ができた。100枚40ドル(2000円)というからかなりの高級品である。どうもこの部署ではボス以外名刺をもっていないようなのだが、穀潰しの私が名刺を持つなど申し訳ないような気がする。とはいえ、これがないとやはりこの先仕事がやりにくいのでしょうがない。せいぜい期待に答えるとしよう。
しかし、良く見れば電話番号が間違っていたので、修正液で訂正するはめになった。ディスイズフィジー。

6月9日
私の次の住居に住む、もうすぐ帰国するNさんと引き継ぎをした。水道局に行って名義変更をし、電力会社で名義変更をしようとしたが、JICAのレターがなかったのであす以降に持ち越した。仕事のあと、家に行って、いろいろと説明を受けた。土曜日の朝に引っ越すことにした。

6月10日
ラウトカ処分場周辺の水質調査に立ち会った。私は水環境が専門であるので、何か役に立てるかもしれないという事で、参加することになった。第一回目の調査は詳細に分析して、2回目以降は1か月ごとに現場簡易測定をすることになっている。今日は第一回目ということで、南太平洋大学という、周辺国で最もレベルの高い大学の研究者がサンプリングにやってきた。そんなすごいところの人がくるのであれば私の出番などまったくなくて、ただ多くを学ばせてもらおうとの心持で調査に同行した。
11時ころに首都スバから自家用車で2人の中年の男がやってきて、11時半に調査開始となった。
mizuchousa
しかし彼らは本当に水汲んで容器に詰めるだけである。しかもかなり適当で、明らかに底泥の巻きあがりを含んだ水をサンプリングしたりしていた。また、現場では何も測定しない。水温すら測定しないし、現場の様子も記録すしない。これは単に水汲んで分析するだけで、これではデータが出てきても何の評価もできない。水質は、天候、気温、水深、時間等様々な要素から影響を受けるが、それを記録しなかったら評価できない。
そういう意味でこれは科学的な水質調査とは言えない。この場所は感潮域であり、潮の満ち引きの影響を受けるが、今回はその影響を考えずにサンプリング時間を選んだので、次回もこの点を考慮して詳細調査を実施するそうである。
これで私の仕事ができた。次回の調査では私が主導で、これよりましなサンプリングを実施したい。

●過去を振り返って
今後、水質調査は自分のサブの仕事となった。メインだったら活躍できたと思うが、そこまでの仕事量がなくて残念だった。

6月11日
そろそろ1号報告書の内容について考えなくてはいけない(隊員は3か月に一度、活動の状況をJICAに報告書を提出しなくてはならず、私もフィジーに来てそろそろ3か月に差し掛かるため)。その中で活動の大まかな方向性を示す必要があるが、私も周囲の状況が分かってきたのでその中での自分の役割というか、何ができるのかについて漠然とイメージができてきた。

メインはポイ捨ての調査・啓発で2年間の40パーセント程度の力を入れたいと思う。次に3Rの啓発活動についてはJICAの専門家がやるのでそのアシストを10%、まだハッキリとしたことは分からないが、コンポストの実験(事業化レベル・家庭レベル共)のお手伝いを20%、処分場周辺の水質調査を10%(本当は50%ぐらいやりたいが、そこまでのニーズはない)、処分場見学ツアーで10%、その他その時々のイベント(今やっている環境シンボル・スローガンキャンペーンのような)の実行を10%、という具合で2年間が埋まるだろうか。とりあえず、今のキャンペーンがひと段落したら、もう少し形にして、ボスに話してみようと思う。

話は変わるが、明後日に今のホームステイしている家を去ることになるので、ロティー(クレープみたいなやつで、カレーとかつけて食べる)の作り方を教えてくれと最近しつこく頼んでいたのだが、忘れているのか、なかなか教えてくれない。すると今日の夕食後、おまえは仕事の後自分で食事を作るのはしんどいだろうとか、ロティーは作るのは難しいとか言いだした。そして、今後月曜と金曜日にロティー作っとくから、そのかわり金払えとか申し出てきた。本当に金にうるさいというか、そこまでやるか?というレベルである。もちろんお断りしたが、ロティーについてはネットとかで調べて自分なんとか作ってみることにする。

●過去を振り返って
結局、ポイ捨て調査・啓発はやらなかった。
しかし、本当にホームステイ先のママにはうんざりしていた。悪意はないのはわかるが、考え方の相違が大きすぎた。

6月12日
環境シンボル・スローガンの応募用紙がほぼ完成した。一応私が作ったことになっているが、ほとんどが周囲の支えによるものであって本当に面目ない。来週から市内の学校に配布していく。
明日引越すのだが、夜になってママが金に関してごちゃごちゃ言いだした。内容がはっきりわからないがたぶんもっと金よこせとかいっているのだろうと思い、ハッキリいっていくら欲しいんだと聞いたら、お前しだいみたいなこと言われるし訳がわからない。こっちはビジネスで来ているわけではないので、ごちゃごちゃ交渉するつもりはないし、よほどでない限り言い値の金を投げつけてやろうと思っていたのだが、結局先月同様150ドルを支払う事で落ち着いた。横で聞いていたモシンは少しバツの悪そうにしていて、気にするなと言っていた。
しかしながら、金の話は、インド人の文化であって別に悪気があって言っているわけではないのは理解した。

●過去を振り返って
ママも一応言ってみただけ、だったのかもしれない。適当に流せばよかったかもしれないが、当時は本気で怒ってしまった。結局このせいで気まずい別れ方をして、二度とこの家の敷居をまたぐことはなかった。
もっと上手く付き合う方法があったのかもしれないが、俺にそこまでのコミュニケーション能力はなかった。
このホームステイの件は今も後悔が残る。

6月13日
土曜日。今日から3連休である。朝起きて引っ越し準備。1時間ほどで荷物がまとまった。来たときより荷物が増えていた。そのあと家の写真と、家族の写真を撮った。そして10時半ごろにパパの車で送ってもらった。

これから入居するのはシムラという、ここらではよく知られた高級住宅街である。確かに、他の地区とは違い、大きくきれいな家が多い。私の家は外見こそ地味だが、中は非常に広い。これは本来かなりハイクラスの人が住む家のはずである。実際上の階にはインド人の弁護士一家が住んでいる(2階建てで、私と先輩隊員の岸田さんが一階に住む)。ボランティアで来ているのに正直これは心苦しい。しかし、家賃はJICAが払っているらしいし、フィジーの負担でないことが救いである。
さて、家に入るまで3つの鍵をあける必要があるのだが、初めてなので10分ぐらいかかった。昨日受け取った鍵の束には9つも鍵が付いていてどれがどれだか分からない。金持ちが住む地域なのでその分泥棒が多い。実際近所に住む隊員の家もやられている。この家は過去にそういうことはなかったらしいが、やはり緊張する。しかも今日明日明後日は岸田さんがいないのでいきなり私一人である。
一人でしかも広い家なのでシンとしている。荷物を置いて、家の状況と物品を確認した。日本語の本や、日本食もあって、ここは小日本のようである。居心地は良いが危険である。せっかく外国に来たのに、日本にこだわっては意味がない。ここは自分に厳しくあらねば、と思う。

ひとしきり作業が終わった後で、祝杯として以前私がここに持ち込んだバウンティー(フィジー特産のラム酒)を飲んで一人で引っ越しを祝った。腹がすいてきたので、酔っ払ったまま、30分歩いてスーパーに行って食料を買いに行った。牛乳、朝食用シリアル、100%オレンジジュースと、今日の晩飯としてチンゲンサイと鶏レバーとオイスターソースを買った。これまでの反動で、健康志向である。
酒飲んで飯作って食べて、眠たくなったので寝て、目が覚めたら、相変わらず一人静かで…。これまでの暮らしとは正反対で、ほんとにこれで良いのだろうかと戸惑ってしまう。これまでの狭くてやかましい家がちょっぴりなつかしい気がした。

●過去を振り返って
これでホームステイは終わりである。
これからは他の隊員と二人で住むが、この時同居人(岸田さん)は旅行に行っていていなかった。

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