青年海外協力隊の記録:はじめに

これは俺が2009年3月から2011年3月まで、青年海外協力隊員としてフィジーで活動していた記録である。
また、派遣前、派遣後についての記録もあって800日分ぐらいある。おそらく分量では日本最大級の協力隊日記であるはずだ。

今、あらためて当時の記録を再構成し、また、現在の自分がそれを読んだ感想も追記してここに掲載する。
3年以上経てば、あの時こうしていれば結果は違っていたのに…、などの後悔や反省もある。つっこみを入れずして読めない。

正直、俺はあまり優秀な隊員ではなかったし、成功より失敗のほうが多かった。というか、困難に挑戦せずに逃げたことすらあった。
だから、当時のことを思い出すと、すこし苦い気分になる。

じゃあ、参加しなけりゃよかったのか、というとそれは絶対違う。

色々あるのが人生だが、それが凝縮されたような超高密度な2年間だった。

良くも悪くも、あれは青春ど真ん中直球ストライクだった(?)。
個別では後悔していることも多いのだが、参加した事自体は自分の人生において大きなプラスだったと断言できる。

といっても、他人に対して「きみも協力隊に参加しようよ。絶対おもしろいから(^O^)」などと、無邪気に言ったりはできない。
やっぱりあれは人を選ぶと思う。

派遣されるのは途上国で、日本より生活環境は劣悪なのは間違いない。病気になる隊員もいる。
ゴキブリごときでギャーギャー言ってるようじゃ、勤まらない。
また、思考回路や生活習慣が異なる人々との暮らしはかなりストレスがたまるし、普通に生活しているだけで疲れる。
ほとんどの隊員は帰国したら単なる無職の人間になるし、再出発に時間がかかる。

色々書けばキリがないぐらい、リスクだらけ。
正直、協力隊に参加する人はかなりのモノ好きと言えるだろう。

俺の協力隊日記は、そんなモノ好きには参考になると思う。
そして、参加するのはアレだが、ちょっとどんな世界かのぞいてみたい、という人にも少し期待に答えることができるかもしれない。

基本的に当時書いていた日記をそのまま掲載しているが、現在読み返しての感想を青字で追記している。
また、日記に登場する人物名はほとんどが仮名である。

これから参加しようと思っている人は、超長いけど始めから最後まで読んでくれると嬉しい。
青年海外協力隊奮闘記:目次

時間がない人は、帰国後のまとめの記録をどうぞ。
ありがとうフィジー、ありがとう協力隊(総括)
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<補足>
青年海外協力隊とは?
日本のODAの一環として、独立行政法人国際協力機構 (JICA) が実施する海外ボランティア派遣制度。
青年、とあるが、20歳から39歳までが参加できる。
1965年以来、2014年まででのべ40,000人程度が派遣されている。

隊員は世界数十カ国に派遣されており、そこで、看護師、自動車整備士、教師、農業指導、柔道インストラクターなど、100種類以上の職種で活躍している。
ボランティアなので給料はもらえないが、現地の生活費は支給されるし、それ以外に帰国後の再出発への資金の名目でいくらかお金はもらえる。

協力隊のお金の話はこちら。
青年海外協力隊の給料

任期は基本的に2年間。
派遣前には、JICAの研修所で2ヶ月程度語学などの研修を受ける。
妙齢の男女が共同生活をおくるため、そこで様々なドラマが生まれる(俺には無縁だったが…)。

<俺の状況>
2008年12月に会社を退職。
2009年1月から3月に駒ヶ根市のJICA施設で研修を受ける。
2009年3月にフィジーへ派遣される。
2011年3月帰国。

フィジーでの主な任務は「生ごみの肥料化」。
家庭や野菜市場から出る生ごみを減らすため、肥料にして再利用するための実験に参加していた。
実験場はごみ処理所だったので、つねにハエにまみれて仕事をしていたが、幸い病気にはならなかった。

fijiichiなお、フィジーは南太平洋にある小さな島国。
人口は80万人~90万人程度。
気候は海洋性熱帯気候。沖縄をさらに暑くした感じ。
リゾート観光地としても有名で、欧米人観光客も多い。

日本からは飛行機で14時間程度。直行便はない。
でも良い国だから、一度行ってみて欲しい。

赴任したのはフィジー第2の都市・ラウトカ市。
人口5万人程度。工業が盛ん。特にサトウキビの精製で有名である。
配属されたのは市役所の保健課。そこの職員とともに活動していた。

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