仕事始め

4月28日
私「そろそろ仕事始めたいんですけど…」 カウンターパート(職場の同僚で隊員の相棒)「じゃあ、10時から打ち合わせしよう」、といいつつも、彼の都合で3時からになった。打ち合わせの概略を以下に記す。

・私の仕事は廃棄物に関する環境教育の教材作り

・ターゲットは学校、教会、地域コミュニティー等

・教育教材の形式は自由

・期限は特になし(up to you:お前次第と言われた)。出来しだい、実行にうつす。

・ラウトカ市役所ではこれまでに環境教育を実施したこともなく、教材もない。

・3Rだけでなくポイ捨てについても扱う。

自由度が高くてやり易いと思った反面、特に期待されてないような印象も受けた。特に期限がないというのは気が楽でいいが、何もしないでおこうとしたら、いくらでも手が抜ける。2年間ほとんど遊んで過ごすことも可能かもしれない。しかしながら、現在のところ、そんな気はまったくなく、ようやく勝負が始められたことがとにかくうれしい。5月中旬をめどに完全でなくとも、カウンター―パートをうならせるものを作りたい。
ここで自分の利用価値をはっきり示すことができたら、この先の2年間の見通しはかなり明るいものになるだろう。しかし仮に、いまいちな結果になっても、現時点での自分の力を相手に示すことは重要であると思うし、また、資料作成に関して、職員と意見交換することには大きな意味があると考えている。期限を5月中旬としたのは、ライバルがその時期に日本からやってくるからである。

実は私の仕事はJICAの専門家(JICAから委託された日本のコンサル会社の社員)とほとんど同様で、競合関係にある。彼らが来た時点で、私の立場が確立されてないと、非常に肩身が狭くなる。

これまでにいろいろプランを練っていたので、そこそこの物は作れるのではないかと考えているが、リスク要因としては、

・非常に限られたネット環境

・フィジー人のツボのいまいち把握していないこと

・言うまでもなく英語力

等がある。これらの不利を跳ね返すため、それが正しいのか分からないが、家での作業も辞さない、金もけちらない。とにかく思いっきり自分の力を発揮したい。

●過去を振り返って
ラクをしようなんて思ってなかった。どれだけしんどかろうと、とにかく自分の存在意義を求めて激しく戦うつもりだった。
しかし、この件は結局空回りに終わった。
この後、3ヶ月ほど迷走することになる。

4月29日
今日は一日中資料を作成していた。期限もないし、期待もされてないが、だからこそ結果を出して、自分の居場所を作らなければならない。帰り際に職員から、明日環境の会議あるから、というようなことを言われた(2割ぐらいしか理解できなかった)。今のところ語学力の欠如が深刻なトラブルを招いたことはないが、そろそろ大惨事が起きるかもしれない。

○インド人の英語
インド系の人の英語はフィジー系の人のに比べてわかりにくい。先日パパから洗剤はフレディーに買え、と言われた。フレディーってだれ?パパの友達?それとも店の名前か?と思い聞き返したらフライデー(金曜日)だった。

そのまた先日ママから、フェンを使え、と言われて、When といきなり言われても何のことやらと聞き返したらファン(扇風機)のことだった。しかし一番分かりにくいのは私の英語で、しょっちゅう聞き返されている。

●過去を振り返って
この後、それほど英語力は向上しなかったが、致命的な失敗はなかった。しかし、英語力不足はずいぶんと自分の活動の足を引っ張った。

4月30日
朝から市長っぽい人の誕生日のお茶会が会議室であったので少しお呼ばれした。市長っぽい人というのはスペシャルアドミニストレイターのことで、中央政府から派遣されているラウトカ市のトップの人である。前回のクーデターで選挙で選ばれた市長が解任されたので、彼が事実上の市長として赴任している。複雑なことになっているが、彼自身は非常に温厚なジェントルマンであり、JOCVについても理解のある人である。

その後はナンディー町へ毎週恒例の会議に出席した。毎度のことながら、大した内容ではなく、単に同期のYさんと情報交換して帰ってきただけであった。環境教育に関してはナンディー町の方が少し進んでいるようであるが、彼女の活動も実際に学校等を巡回するのは一か月後ぐらいになりそうな雰囲気であった。こちらもそれぐらいで考えて良いのかもしれない。

昼は1時に帰ってこれなかったので、久々に一人で昼飯を食べに行った。フィッシュチョップベジタブルライス4ドル(200円)はおいしかったが、量が多すぎて胃がもたれた。

○睡眠時間
ラウトカに来てから平均で8時間以上寝ている。それでも体がだるいときもある。大したことをやっていないのにこの疲れようはやはり精神的なものだろうか。以前に聞いたことがある。人間のエネルギーは生まれた時から持っている元来のものと、食事・睡眠等で摂取するものがあるらしいが、今の私は元来の生命エネルギーを削って生きているのではないか。寿命が縮んでいるような気がする。

●過去を振り返って
となり町ナンディの同期隊員の吉川さんは非常に優秀な人だった。彼女がすっかり職場になじみ、意義のある活動を始めるのを見て、俺はずいぶんと焦っていた。

5月1日
午前中に皆が出払っている内に、オフィスのパソコンでラウトカのゴミ問題の情報を大量にダウンロードした。今後少しずつ読んでいく。それとあわせて、試行錯誤が実り、ラウトカに来てから初めてブログの更新を行うことができた。日々の記録は毎日つけていたが、たまっていたものが吐き出せてすっきりした。

午後に同僚からケーキを少し貰ったのだが、それが非常に甘くて、少量だったにも関わらず気分が悪くなってしまった。本当ははじめから食べたくなかったのだが、気持の問題なので、ノーと言えないし、苦渋の決断だった。

また、カウンターパートにラウトカのホームコンポストの状況を尋ねた。

ホームコンポストの容器は特になく、植物の周りに直接生ゴミを捲いているとのこと。

マーケットで出されたゴミや、草木のゴミ(グリーンウエスト)はJICAからもらったコンポスティング装置でコンポストを作って、もし、マーケットの人とかが欲しがったらあげて、いらない分は、処分場の緩衝地帯に畑を作って、フルーツや野菜を育てて、スタッフに売るのだそうな(カウンターパートの私案)。どう思うと聞かれたので、もちろんベリーグッドといっておいた。協力したいし、いい提案もしたいが、できるだろうか。このプランはJICAから装置をもらって、実際に生ゴミを集めて、3、4か月発酵させてからようやく、肥料が完成するので、当分先のことになるのでじっくり情報集めて密かに案を練りたい。

今日の晩飯はチキンカレーだったので、食べ終わった後の骨はどうするのか訪ねた。たい肥化するかそのままゴミとして捨てるのかどちらかだと思っていたら、家の外に置いて、猫(多分野良猫)の餌にするそうな。実際に今回は私が実行した。しかし、猫だけではなく野良犬も食べるのではないかと訪ねた。このあたりは野良犬が非常に多く、問題となっているのだが、ママは笑うのみであった。確かに、ゴミとして出さないのは良いが、他の問題が起きては意味がないような気がする。なお、野菜くずは庭に撒いているのでこれは良し。

5月2日
今日は土曜日。午前中は新聞を読んで、午後は昼寝してテレビを見て過ごした。昼寝以外はリビングで過ごして、ファミリーとの絆を深めるべく努力した。しかしなかなか話が聞き取れない。しかしそれ以上に考えていることが表現できない。今日は中国人と日本人の違いをうまく説明できなくて悔しい思いもした。

今日から裏庭で、家の増築工事が始まった。モシンが住むとか言っているが本当かどうかわからない。そして、休みの日にも関わらず、パパはタクシードライバーとして街に出るのだった。ここでは金を稼ぐことがダイレクトに幸せにつながっているような印象を受ける。

○金の話
インド人は本当に金の話が好きである。この前ママと家の話をしていて、この家は9万ドル(450万円)したという。ヘーそうなんですか、と応じたら、指さして、あそこは7万ドル、あそこはレンタルで月いくらとか聞いてないのに話し出した。なんでよその家の値段まで知っているのか。いつも近所でそんな話をしているのだろうか。

5月3日
今日はラウトカ市のポイ捨ての状況を調査するため、カメラとビデオをもって独りで街を歩き回った。はじめにちょっとした所用で先輩隊員の住居を訪ねた。帰り際にお土産として、魚の開きをもらったのだが、これが悲劇の始まりだった。
この日は天気がよく、夏らしい陽気であった。その中を歩き回るうちに背中のリュックサックから魚臭が漂い始めた。それがじょじょに無視できないぐらいになったので、予定を短縮して家に戻ることにした。早急に帰りたかったが、これではタクシーにも乗れないので帰りも徒歩である。
家に帰るとすぐに調理を始めた。フライパンに油を引いて焼くのだが、家中が魚臭くなってしまった。また、大量のハエを呼び寄せてしまった。家族は私の様子を観察していたが、かなり迷惑そうであった。また、私が何の調味料を使わないことが、インド人からすると、奇妙に感じたらしく、そのことを聞かれたりしたがうまく返答できず、ディスイズジャパニーズスタイルと繰り返した。焼きあがって、一応皆さんに勧めたが、一口食べてそれっきりだった。私は針のむしろで、急いで食べようとしたが、骨が多くて時間がかかってしまった。となりでママがオレンジ食べだすし、食べ終わったら骨を表に捨てに行けとか言われるし、ハッキリ言って味わうどころでなかった。

しかしそれはアイムソーリーとか言わず、食べ終わったら何事もなかったようにふるまった。

その後は髪の毛が伸びてきたのでモシンに刈ってもらった。拷問のように痛かったが、彼はかなり時間をかけて、何度も仕上がりを確認しながらやってくれたので何もいえなかった。

その後は部屋で文章を綴っていたが、ほどなくしてモシンが来て、一緒に写真撮ったりした。変な格好で、変なマスク被せられた。マスクの下で私は泣いていました…。
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5月4日
昨日は丸刈りにしたが、週明けの同僚の評判は上々であった。ボスからはダライラマみたいだと言われてリアクションに困った。今日も昼飯と晩飯が大量に出て、苦しかった。いつも食後の一時間はぐったりしている。

5月5日
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午前中に隣町のナンディーにある、回収された廃棄物の中継地点に行ってきた。ナンディーで出されたゴミはいったんここに集められて、ラウトカの処分場に持っていくらしい。この日の目的は、ここを管理する会社から事情を聞いて、廃棄物の受け入れ値段を決めるためらしい。ボスが説明してくれたが、いつものごとく、2割ぐらいしか聞き取れないので、解釈にはかなり想像が混じっている。広い土地に、ゴミの入ったコンテナがいくつか置いてあった。ハエと鳥が群がっていた。もちろん臭いもすごかった。写真を撮ってきたので、何かに使えるだろう。
あっというまに仕事時間は過ぎ去り、家に帰った。この日はあまりTVを見る気になれず、部屋でずっと新聞を読んでいた。最近新聞を音読する学習を始めたこともある。
翌朝、体調が悪いのかとかなり心配されてしまった。やはり部屋で一人ではいさせてくれないらしい。

5月6日
午後からラウトカの最終処分場に連れて行ってもらった。市役所から10分ぐらいのところで、意外に近かった。この処分場は1968年に受け入れを開始した、オープンダンピングの処分場である。つまり、ゴミを回収してそのまま捨てるところである。これまでに写真等で見知っていたが、実際に行くのは初めてであった。しかも突然行くぞ、と言われたので、白のワイシャツとスラックスというかなり場違いな服装であった。非常に臭く、大量のハエが生息していたが想像通りだったが、かなり刺激的だった。
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この処分場にはみたところ10数人のウエストピッカー(ゴミから空き缶等の有価物を回収して生計を立てている人)がいたが、みな気さくな人で車で通りかかったら手を振ってくれたりした。この世の果てのような悲惨な場所であったが、そこに住む人たちに悲壮感は全く感じられなかった。また、汚水の流れ込む水路で水浴びをしている人たちも陽気にブラー、と挨拶してくれた。このあたりは予想外であった。彼らの熱心な仕事のせいか、処分場のゴミにペットボトルや空き缶はかなり少ない。リサイクルシステムの中で彼らの存在はかなり大きい。行政がコストをかけて分別収集を実施するよりも現在のシステムの方が安上がりで、市民の分別する労力・時間もいらないし、これはこれでよいのではないかと思った。では何が問題となっているのか。
・リサイクル率が低い
私の見たところ、最終処分場でかなりのペットボトル・空き缶等が回収されているように見えたが、JICAの報告書によればリサイクル率はかなり低いらしい。これを高めるにはやはり分別収集しかない?
・処分場の衛生・環境問題
処分場には大量のハエが発生しており、また、小川には汚水が流れ込み、海や地下水の汚染源になっている。また、ここに住むウエストピッカーの労働環境は客観的には最悪である(彼らにしてみれば平気なのかもしれないが)。
・生ゴミ
フィジーではゴミは焼却しないので、生ゴミもそのまま処分場に運ばれてくる。その割合は全体の中もかなり大きく、これをいかに減量するかが、問題の焦点である。やはりコンポストを推進すべきか。
・紙
ウエストピッカーも紙は回収していなかった。これも分別収集してリサイクルする方向で進めるべきだろう。
・ペットボトル以外のプラスチック
これはリサイクルも難しいし、reduce・reuseを訴え続けるしかないか。
・将来の衛生埋め立ての可能性
市としてはゴミに土を被せる一種の衛生埋め立てを実施したいのであるが、予算が認められなかった。しかしこれが実施されると、ウエストピッカーによる回収が難しくなる可能性がある。

処分場を後にしようとするときに、昨日ナンディーの廃棄物中間集積地点にあった、コンテナのゴミが運ばれてきたので、引き返して、トラックからゴミが下されるシーンを見ることができた。届きたてのゴミにウエストピッカーが群がっていた。ゴミの山も彼らにしたら宝の山なのだろう。ゴミと共に生きる彼らの生活を見ると、3Rsなどは虚しい念仏に聞こえる。さて、どうしたものか。しかし、今日の体験と撮影した写真は教材作りに非常に有益である。明日さっそく作ってみよう。

●過去を振り返って
この世の果てのような場所だったが、ウエストピッカーにとっては宝島。いろんな人がいるもんだと視野が広がった。

5月7日
毎週恒例のナンディー町との会議が今週はラウトカであった。今日は吉川さんは来てなかった。いつものごとく大した議題はなかったが、毎回の議題のトピックの中でJOCVのコーナーがあって、何かしらの意見が求められる。これまではごまかしていたが、そろそろ何か言わなければ、立場が危ういと思って事前にコメントを準備していた。今日はおそらく昨日の処分場の話がでるはずだと予想したが、この予想は正しく、今週もぎりぎりのところで難局を乗り切った。「昨日見学した限りでは、ウエストピッカーによるリサイクルシステムも、分別収集と比較してそんなに悪いものではないのではないか」という意見だったが、このあと少し議論が広がってしまって、自分に話が戻ってこないかとヒヤヒヤしていた。

さて、会議の後、昼前になってカウンターパートがいきなり街に行くからついてこい、といって外に連れ出された。車の中でプライベートレッスンだとか言うので何かとおもった。着いたのは倉庫みたいなのがある市役所の施設。まだ分からなかったが、そこの職員が檻の中から犬を先に縄のついた棒で捕まえて出てきた。そこに注射器を手にした、別の職員が近づいて…。そう、野良犬の殺処分だ。何がプライベートレッスンだよ、とおもったが、ラウトカは野良犬が非常に多く問題となっているので、その状況を知ることは今後の活動にとっても有益であるはずである。
しかしながら、屠殺現場は凄惨であった。捕まえられそうな犬はこれまで聞いたことのないような、狂ったような声で逃げまとい、つかまって首に縄をかけられてからは声が出ずに糞尿撒き散らして抵抗していた。しかし手慣れた職員たちにかかれば、なんてことなく、押さえつけられて、腹に注射打たれてすぐにグッタリとしていた。注射の後は苦しむ様子がなかったのが救いである。毎日罠で9匹捕まえて、飼い主が現れない犬を殺すといっていたが、この日は7匹が処分された。
しかし、このような状況でもフィジアンはフィジアンで陽気に笑いながら仕事をしていた。日本ではガス殺処分で、ボタン一つで焼却までオートメーションで処理されると聞いたことがあるが、どちらにせよ気の滅入る話だ。死んだ犬を乗せたトラックを見送ってからゲンナリして役所に戻った。
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檻の片隅で怯える犬。この先の運命を理解していたのだろうか。

●過去を振り返って
なにがプライベートレッスンだよ(笑)。

5月8日
今日もあっという間に仕事が終わった。というか何も仕事をしていない。今日は同期隊員の湯川さんがあすの旅行のため、スバからやってくるので仕事が終わり次第バスターミナルに迎えに行った。彼は3時にラウトカに到着して一時間ほど街を回ったそうだが、多分ほとんどそれがラウトカのすべてであったと思われる。

宿泊場所は市役所の隣にあるラウトカホテルで、ベッド2つの部屋でシャワー・便所なし一泊35ドル(1750円)であった。荷物を置いたあと一応街を案内した。ラウトカの綺麗に手入れされた公園や道路脇の芝生はスバ以上ではないかと、説明しておいた。それも終わって、彼にラウトカマスターの称号を与えてから、ホテルの横のレストランで食事をした。エアコンの効いたきれいな店だった。チャーハンと麺とピザを頼んだが、ピザが出てくるのに1時間以上かかった。せっかくなので酒も飲んだが、缶チュウハイ2本で酔っ払った。自分に失望した。2人で41ドル(2100円)。

8時前に部屋に戻ってしばらくすると、ナンディーの吉川さんから電話があって、明日の出発時間が7時半から5時半に変更になったことを知らされた。この旅行の計画はほとんどミステリーツアーだったので大して驚かなかった。その後は部屋で湯川さんの話をいろいろ聞かせていただいた。最後は、湯川さんはいいなー、いいなー、と言いつつ眠りについた。

●過去を振り返って
湯川さんは駒ヶ根訓練所からの仲良し隊員で、とても世話になったし、帰国した今も付き合いがある。こういう人と出会えたことも協力隊に参加してよかったなあと思う理由の一つである。

5月9日
2週間ほど前、ナンディーの吉川さんから、小旅行に誘われた。私は現在、休日は常に暇な人間なので即OKした。彼女の家のハウスガールの村が観光事業を始めたいので初めてのお客になってくれないかという話だった。つまりは実験ということで当初から計画がはっきりしなかった。前日になって出発時間が変更になるなど怪しい雰囲気が満載だった。彼女は他にも誘いをかけて、スバからは何も知らない湯川さんが実験台として駆けつけてくれた。

私もいい年の大人なので、少々のアクシデントは余興の一つとして受け止めるぐらいの余裕はあるつもりであったが、さて旅行は半分以上予想外の展開だった。なお参加費は交通費込みで80ドル(4000円)である。

当初は車で行く予定だったが都合がつかなかったのでバスで行くことになった。ラウトカから北へは行ったことがなかったので道中は興味深かった。サトウキビ畑も多かったが、牛や馬のいる牧場が広がっているのが印象に残った。朝が早かったので、湯川さんと吉川さんは眠そうだったが、私は彼らの寝顔を撮影するほど余裕だった。今回のガイドであるハウスガールのエミさんは超陽気なフィジアンでガイド向きの人だった。というかどちらが客が分からないぐらいのはしゃぎっぷりだった。

彼女の兄弟が途中の街で合流して、現地を案内してくれるはずだったが、来なかった。ヒーイズレイトでその場は片付いた。ラウトカから3時間少々で目的地にたどり着いた。ラキラキという大きな町から30分ぐらい過ぎたところの大きな学校の前で降りて、遅れてきた兄弟をしばらく待って出発した。道すがら、彼からグアバをもらって食べた。果物は絶対皮をむいて食べろと訓練所で言われたものだが、もうどうにでもなれである。10時ぐらいにエミの親戚の家にたどり着いて、朝食を食べた。イエローダロといういつも食べているダロイモとは少し種類の違うものだったが、なかなか美味だった。その後庭でココナッツジュースを飲んだ。以前タイ旅行の際、よく飲んだが、フィジーでは初めてであった。もちろんかなり美味。
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その間、庭の下の川で竹の船を造っているのが見えた。あれで我々は川下りする予定であるという。その後は山に登って昼飯という話だった。川下りは気持ち良かった。涼やかな風を受けながら、悠々と景色を眺めることができた。1時間ほどで岸に上がって、そこから少し山に登って見晴らしの良いところで昼飯かと思いきや、ここから2時間以上本格的な登山をする羽目になった。
みなそんなつもりではなかったので私は半そで短パン、湯川さんはさらにサンダルという散歩をするような格好だった。ガイドは同様の恰好ですいすい登っていくのだが、こういう状況に戸惑う私たちは途中転倒したり、草で傷を負ったり、蛭にかまれたりと散々だった。
道中登山に必死な私たちと裏腹に、エミは喜々としてガイドを続けるのであった。いつになったら頂上にたどり着くのかと思っていたら、いつの間にか下り始めて、見晴らしの悪いところで昼飯となった。イエローダロとダロの葉っぱであった。素朴であるが私は好きである。この時点で3時であったが湯川さんが帰る時間を気にし始めた。当初4時頃終了という予定と聞かされていたが、8時のバスがあるからそれで帰るとのことだった。始めから言って欲しかったが、今回は実験なので、タイムスケジュールに関しては、次回からのツアーには生かされるのだろう。そこから一時間ぐらい歩いて、ようやく超ハードなハイキングが終了した。

その後は湯川さんと川でダイブした。川の深いところに向かって岸の上から飛び込むのであるが。手本を見せる現地の子供たちみたいに頭から綺麗に飛び込むことができず、足からドボンと飛び込んだだけであったが、なかなかおもしろかった。しかし、これを今後観光客にやらせると、一年に一回ぐらいは事故が起きると思われる。岸の直近は深さが十分でないのでここに頭から突っ込むと不幸な事態になるだろう。
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その後はヤンゴナを飲んでまったりとしてからお開きとなった。8時半にバスが来て、家に着いたのが12時前だった。

ということで早朝から深夜にわたる、ハードな旅行だったが、刺激的で面白かった。そして傷だらけの我々から得た実験データを元に、よりよいツアーが出来ることを祈っています。

●過去を振り返って
結局、この観光ツアーは事業化することができなかったらしい。まあそうだわな…。

5月10日
今日は9時半起床。こんなにも寝坊したのはラウトカに来てから初ではないか。起きてなお体がだるいが、それ以上の体調不良はない。昨日は腹痛を起こしてもおかしくないようなことをばかりであったが、それもなかった。傷だらけの足で、泳いだりしたが、化膿したりもしていない。こちらの菌に免疫ができてきたのかもしれない。

今日はのんびり過ごそうを思っていたら、近所でゴミの野焼きがあったので写真におさめに行った。これはフィジーでも違法なことなのだが、あまり皆問題と思っていないらしい。その後ついでに、モシンとその友達とともに、このあたりで一番高い丘の上に登った。ラウトカの町が一望できる素晴らしい景色だった。

なお、今日はマザーズデイだそうで、なにをするのかわからなかったが、ママからハッピーマザーズデーと言え、と命令されたので、そのとおり言ったら大喜びだった。

後は文章を綴ったり、新聞読んだりして静かに過ごした。

5月11日
今日もお地蔵さんみたいに大人しくしてた。そしていつものごとく、秘書の人がキャッサバフライをくれた。まるでお供え物のようだが、そんなことしても、このお地蔵さんには御利益はまったくありません。申し訳ないです。

家に帰って今日も静かに過ごそうと思っていたら、ママに親戚の家に連れていかれて、その後一時間ほど散歩した。夕方から夜にかけての街はこれまで歩いたことがほとんどないので新鮮だった。しかしこの散歩は、ママの減量のために企画されたらしく、これから毎日やるそうな。しかし夕食後、甘ったるいアイスクリームをほおばりながら、なぜ私は太っているのかと尋ねてきた。この調子では痩せるのは無理っぽいと思った。

5月12日
今日は真面目に環境教育のプレゼンを作っていた。家でも新聞読んで、ラジオ聴いて真面目に勉強していた。ところで今日の昼間は家族の皆さんがかなり本格的にお祈りをしていた。なにか特別な日だったのかもしれないが、祈りの言葉を唱えながらメッカの方向に向って何度もひざまづいて、イメージ通りのムスリムのお祈りだった。写真に撮りたかったが、もちろん止めといた。

5月13日
これまで私が座っていた席は休暇で不在だった人の席だったが、彼が戻ってきたので、私には新たな席が用意された。また、今日は近くにある図書館がどんなものか見に行った。あまり興味をそそる本はなかったが、なぜか中にいた人たちからじろじろと見られた。東洋人がめずらしいわけでもなかろうが、ズボンのチャックが開いてたとかだろうか。

家に帰ってモシンに日本語教えていたら、いつも家に来るいとこがやってきて、モシンに何か渡した。植物の葉っぱみたいなやつで、元来歯の痛みどめに使うスキという薬草だそうだ。しかし、他の使い道もあるそうで、噛んで、舌の裏に含めば、面白くなるという。試してみると、5分ぐらいしたらフラフラしてきで、まるで酒を飲んだみたいになった。これは面白いと思って、もっと摂取したら、立っていられなくなって、しかも吐き気がしてきて、二日酔いのような症状になった。始めてからわずか10分ぐらいしか経ってなかったと思われる。その後しばらくベッドの上で苦しんでいたが、2時間ほどで一応回復した。さんざんだったが、これは初めてで加減がわからなかったことに原因があったかもしれない。初めて酒を飲んだときもそうだったような…。まあ、これに懲りないで、次はもう少し減らして挑戦したい。なおスキは、人差し指一本分ぐらいで50セントぐらいと、酒に比べてかなり安価な物らしい。一応いっておくが違法なシロモノではない。

5月14日
毎週木曜日の定例会議がナンディーであった。今日は吉川さんが自分のアイデアをみんなの前で発表していた。いずれも素晴らしいアイデアだったので、臆面なくマネをしようと思って、発表のパワーポイントのデータを貰ってきた。しかし、自分の席でじっくり考えてみると、Yさんの能力や、ナンディーの特徴に合わせたアイデアであるので、なかなか私がラウトカでやるのは難しいのもあるため、私も自分で考えて、発表できる形にすることにした。

とにかく、最近は行き詰まり気味だったので良い刺激になった。

5月15日
今週はカウンターパートのシャレンが休んでいたんので、どうしたのかと思っていたら、今日は職場の人たちが彼の血液型の話をして、いただならぬ雰囲気だった。聞けば、彼は病気で手術をしたらしく、血液が必要で、職場のみんなでサポートすることに

なっているそうな。深刻なのかと聞いたら、そうだ、2週間ぐらいは仕事を休むだろうとのことだった。2週間ぐらいで復帰できるのなら命に別条のあるレベルではないのかなと思い少し安心した。

今日はJICAの専門家たちが市役所に挨拶にきた。来週から彼らと協働で仕事をすることになる。忙しくなりそうだ。

5月16日
スバからラウトカへ、先輩隊員の花沢さんが来ていて、一緒に飲もうと誘われ、いつもの先輩隊員の家に行った。朝の10時ぐらいから飲み始めて、2時間ぐらいである程度の酒を飲んだ。これまでの私なら何てことない量なのだが、最近は飲んでないのですっかり弱くなっていた。その後、他の先輩隊員とともに5人で中華料理の店に行ったが、私は最初から最後まで寝ていた。正直言ってあまり記憶がない。何も食べず、何も話さず、2時間ぐらいたって、店を出て、私は市役所裏の公園で少し休んでからネットプレイスに行くからと言って、みなと別れた。
そして、ベンチに寝そべって、体力の回復を待ったが、結局動けるようになったのは3、4時間後の5時半ぐらいで、暗くなり始めてからだった。それではしょうがないので、そのまま家に帰ることにした。その後いろいろあって、親戚の家で甘いお茶とクッキーを食べたら、急激に二日酔いがひどくなり、7時半に自分のベッドに寝ることができてから、翌朝まで動くことができなかった。

多分この先、先輩隊員達は誘ってくれないだろう。この日は信用をなくし、体調を崩しそれ以外何もできずに一日を無駄にした。

●過去を振り返って
しかし、花沢さんは俺のことを気に入ってくれたようで、この後は飲み友達になった。さすが酒飲み。

5月17日
今日は一日中家にいて英語の勉強をしていた。ラウトカに来てから、1か月ぐらいたったが、まだこちらの人が何を言っているのか2割ぐらいしかできていない。来たときより進歩はしていると思うが、まともにコミュニケーションがとれるまで、まだだいぶかかるだろう。

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