無事任期満了で帰国!

<概要>
帰国までの2週間は宴会続きだった。仲間には楽しく見送ってもらい感謝している。
最後の別れは絶対泣かないと宣言していたが、やはりアリーとの別れの時には泣いてしまった。
そして、日本。
あらゆる面でクオリティーが高いが息苦しい国。
ラーメンは美味しいが、俺は無職。

3月8日
昨日で実質的に協力隊員としての自分は終了したが、残りの2週間で後始末をしなくてはならない。本日は電話、電気および水道の、私からアリーへの名義変更を行った。まずは手ごわいと聞いていた電話であるが、やっぱり愛想の悪いフィジアンのおばちゃんが面倒くさいことを言いだして、私もアリーもキレ気味になって、結局調整員の人に電話かけて相談して、回線を切ることにした。元々使ってなかったし、問題はない。しかしこのTFLという会社、近い将来急速にフィジーに浸透してきている国際企業ボーダフォンにやられてしまうだろう。めちゃくちゃすぎる。

次は電気に行ったが、そこでもスムーズにいかず、二日酔いのアリーがエキサイトしてきた。とりあえず一回家に帰ってメーター読んできてくれとのこと。これ以上議論しても無駄なので、とりあえず一旦退散して水道に行った。ここでは少々待たされたが、問題なく名義変更出来た。
ついでなので水道の事務所の近所の肉屋で新鮮卵とステーキを買って帰った。
家に帰って、電気メーター読んで、再び電気事務所に行った。今度はOKだった。しかし、本当に面倒くさいストレスのたまる作業だった。

ちょうど昼時だったので、いつものナニースでラストのつもりでチリチキンを食べた。ついでにアリーが食べ残したチョプシーも食べた。
家に帰って、部屋の引き出しの整理をした。懐かしい思い出に溢れていた。
夕方、アリーが体調が悪いと言って、玉子かけご飯を食べて部屋にこもってしまった。
しょうがないので一人でステーキを食べたが、これが堅くて噛み切れない。、結局チューインガムみたいに少しかんで筋を吐きだすという食べ方になった。
夜も独りで酒。10時前就寝。

3月9日
朝から最終発表の準備。9時半ぐらいに調整員から電話がかかってきて、5号(最終)報告書が短いので差し戻しになったとのこと。面倒くさいのでそれは後回しにすることにした。昼ぐらいに荷物をまとめてスバに行った。これまで何度も来たが、これが最後のスバになる。なので夕飯はさっそくチョプシーを食べた。
後はドミトリーで酒飲んで寝た。

3月10日
夜も明けぬうちから検便ビギナーの茂田君に検便の指導を行った。一つ良いことをした。
9時ぐらいに事務所に行って、物品の返納や、電話代の精算を行った。10時から大使館に渡航先の追記の手続きに行く。帰ってきてしばらくして茂田君と殿田君とでチョプシーを食べに行った。JICA事務所のすぐ近くの店であったが、かなりうまかった。チョプシーに関して、まだまだ知らない店がたくさんあるので心残りもあるが、後任のチョプシー委員が頑張ってくれるだろう。
14時からいよいよ最後の晴れ舞台、最終報告会が実施された。一人目は小林さん。詳しくは書かないが、いきなりやってくれた。2人目のナンディの吉川さんはハイレベルな発表だった。
私は5人目だったが、特に緊張する事もなく、あっさりと終わった。15分ぐらいだっただろうか。でも、伝えたいことは出せたと思う。
すべて終わって、同期で飯に行った。韓国料理屋で酒を飲んで、2時間後に撃沈。ドミに帰ってすぐ寝た。

3月11日
本日は21-1次隊現職教員の最終報告会を見に行った。人とかかわる職業の隊員は嬉しいことも多い分、つらいことも多かったみたいだ。
夜は所長の家に皆で呼ばれてお食事会。家豪華、飯美味い、酒いっぱい、というパラダイスだったが、酔いが回って、所長の家の床で2時間ぐらい寝た。起きたら回復していたのでまた飲み始めた。
ドミに帰ってもしばらく飲んだが、12時過ぎに寝たと思う。
ところで、日本で大地震が発生したが、ネットでその発生10分後にはその情報を知ることが出来た。これからどうなるのだろうか。

●過去を振り返って
俺は東日本大震災の時、まだフィジーにいた。
地震のことはネットで知っていたが、これほど大惨事になるとは、この日はまだ分からなかった。

3月12日
昨晩キット君が寝ている間に、とある女性隊員に顔と身体にマジックで落書きをされていた。私はその彼の身体のみならず魂までも傷つける犯罪行為に加担はしなかったが、特に止めたりもしなかった。朝方、彼は意外な犯人の名を知らされて、人間不信に陥っていた。でも昼には回復していた。

昼から私たち20-4と21-1現職参加の送別会があった。今回も御馳走一杯。私も真下さんと一緒にプリンを作った。
さて、フライングでワインを飲んでいた私はひとしきり食べて、しばし休憩していた。そして、恒例の出し物の時間がやって来た。SVの人の妙なサックス演奏の後、なんと新・ラウトカブラザーズの漫才がサプライズで登場した。私と美川さんがらみのネタを、キット君がボケまくって、アリーがそれに対してまったく突っ込まないという、大勢の観衆の前でのキット君の羞恥プレイだった。最後は二人でビール一気飲み。皆からの受けはかなり良かったと思う。しかし、私だけは涙をこらえるので必死で、笑える状況ではなかった。ビナカ。

夕方、会がお開きになって、私、美川さん、アリー、キット君の4人で、某調整員がスバでもっとも美味しいと推薦したレストランに行った。ステーキとサラダとパスタを頼んだが、出てくるのに1時間半のかかって、それまでにラウトカの話もしながらワイン等のアルコールを大量に消費した。料理はなかなか美味かったが、サービスが悪かった。250ドル(1万3000円)なり。

その後、まだ飲み足りないのでバッドドックカフェに行った。その道中、キット君がアリーと美川さんとフライデー写真を異様に熱心に撮影していた、普段うっぷんが溜まっていたのだろうか。こんなに楽しそうな彼を見るのは初めてだった。
飲み始めて少しして、アリーは別の付き合いがあるので店を出て行った。もうしばらくしてキット君も店内の別のテーブルに行った。もうしばらくして美川さんもどこかに行ってしまって、私は一人ぼっちになってしまった。自分の人望の無さに今さらながらショックを受けたが、静かに勘定をすませて店を出た。ドミに帰ってすぐ寝た。

3月13日
日曜日。今日は特にやることなし。朝飯はケンタッキー。フィジーのケンタッキーはすごくまずいと言う噂を聞いて、行ってみたのだが、まあまあ日本の味に近く美味かった。しかし、チキン小さすぎ。これで約10ドル(500円)は高すぎ。半分でも行かん。
帰ってきて漫画読みながら昼寝。昼飯は某調整員の人から前々回のチョプシー採点表に異議が出たので、その店に行ったら、ちょうどその人がいて、一緒に食べた。55点だった。
それからヒンディームービーを一人で見に行った。今回の内容はやや難しく、ほとんど理解できなかったが、ラストなので十分満足した。
それから、一年以上ぶりのマクノナルドでフィレオフィッシュとチーズバーガー。値段も味も日本と同じぐらい。
ドミに帰って、酒。10時過ぎ就寝。

kentaki
美味いけど、高すぎる。

3月14日
朝から茂田君とチョプシー食べに行く。まだ9時前だったのでチョプシーは無かったが、よく似た食べ物はあったので朝からたっぷり食べた。9時半、開店直後の銀行に行って、口座を閉じた。それからドミに帰ってきて、株式の値動きをずっと追っていた。やはり悲惨な事になっている。
2時半から帰国隊員全員で大使館に表敬訪問に行った。これで本日のイベントは終了。ちゃくちゃくと帰国準備は進む。あと一週間。

3月15日
朝のうちに事務所に行って少し用事を済ましたあと、調整員に最後の別れを告げて、スバを後にした。最後の帰路はどうしようかと思ったが、エアコン付きのバスより、結局ミニバスを選んだ。爆走するミニバスの窓から暴風にさらされながら最後のクイーンズロードの景色を眺めていた。そして気付いた。見たくなったら、また来ればええやん、と。そうだ、いつでも来れるしまた来よう、と思った。そしたら、これまでの感傷的な気分が吹き飛んだ。

ラウトカに帰って、これまで気になっていたフライドチキン屋で昼食。その後散髪に行った。髪を刈られながらおとなしく目をつぶっていると、ヘイ、マイフレンド、これどうだい、とインド人の店員が声をかけてきたので、目を開けたら私の頭はモヒカンになっていた。アホかと思ったが、面白いので私はカメラを取り出してシャッター押してくれと頼んだ。

家に帰って、株式市場のウォッチ。こんなの見たことが無いと言うぐらいの大暴落で、経済面でも日本が沈没しつつあるのが分かった。そして多くの投資家が大損している。特に東京電力は安定配当株として貯金代わりに持っていた人も多いはずだが、2日連続ストップ安である。悲惨すぎる。本当に地震は恐ろしい。
夜はアリーと二人で酒。私はもう仕事がないので、少し飲みすぎて気付けばソファーで寝ていた。

3月16日
朝からナンディにお土産を買いに行った。私は友人が少ないからそれほど量は無いのだが、お土産買う事もこれまであまりなかったので、何を買おうかかなり迷った。結局無難な所に落ち着いた。昼飯はいままで気になってたけど行ったことがなかった有名カレー屋に行った。今まで食べてたカレーは一体何だったのか?というぐらい美味かった。そして全部で25ドルと普段食べていたカレーの5倍ぐらいの値段だった。

用事がすんで、ラウトカに戻る。いよいよ荷物をまとめて部屋の整頓に入る。荷物は20kg以内と厳しい条件なので、部屋にある物はかなりの部分捨てたり、人にあげて処分しなくてはならない。特に要らない服がいっぱい出てきたので人にあげるべくダンボールに入れた。

夜は、お世話になった後輩隊員5人と日本食レストラン「大黒」に行った。刺身、寿司、てんぷら、豆腐サラダ、すき焼き等、代表的日本食の数々、私はもうすぐいつでも食べられる状況だが、他の隊員は後数カ月あるいは一年以上任期が残っている。早く日本に帰りたいとか言わずに、フィジーを楽しんで任期を無事まっとうして帰ってきてほしい。会の始めに、今日は値段見なくて注文していいからと、でかい事言ったが、もし足らんかったら恥ずかしいなあと思っていた。しかし結局会計は400ドルちょっとだった。皆謙虚だなあと余裕たっぷりのコメント。今だけ成金。帰ったら社会の最底辺。

●過去を振り返って
成金なのは、JICAから帰国準備費用をもらったから。これは日本に荷物などを送るための費用だが、俺は送る荷物がなかった。

3月17日
朝から部屋の掃除。大量のごみが発生した。そして、シャワールームも掃除した。これは2年で初めてかもしれない。タイルが赤黒くなっていたが、ブラシでこすってきれいになった。洗面台をきれいにしている途中に水が出なくなったので今日はこれまで。

昼から職場に挨拶および郵便物を受け取りに行った。仕事やめてから10日ほどしかたってないので、違和感はまったくなかった。そして現在日本は世界で最も注目を集めている国なので、いろいろ質問された。今日も同僚と写真を撮ったので明日プリントアウトして持ってこようと思う。なんだかんだで私も職場が好きだったのだなあと思う。
その後インターネットを解約しに行った。帰国日に契約解除ということで、それまでのお金を払って、手続き終了。こうして何かを終わらせるたびに身が軽くなっていくような気がする。あとは掃除と荷造りでやるべきことは完全に終わる。

それからタウンでお土産としてグロッグの粉とバウンティの小瓶を買って帰った。
夕方家にいると、キット君から電話がかかってきて、鍵を家に忘れたので取りに行っていいか、とのこと。それから私は室内を探し回ったが、そんなもの落ちてない。実はそれを口実として家に酒飲みに来たいだけじゃねえかとアリーと笑って話していた。
しばらくしてキット君がやって来た。いつもここに入っているんですよ、とカバンのファスナー開けて中身を取りだす。すると奥まった所から鍵が出てきた。ハイハイ、回りくどいことしなくても、酒ならいくらでも飲んでいいから、ということで6時前から3人で飲んでいた。

8時前に彼は帰っていったのでアリーと二人で飲んでいた。多分二人だけで飲むのはこれで最後になるので、いつもの2倍ぐらい飲んだ。
明日から最後の日までパーティー続きだ。

3月18日
朝起きて掃除。水が止まってから中断して、庭のチリを収穫して酢漬けを作る。日本に持って帰るつもりだ。10時過ぎにアリーの職場に行って、カレーロティを食べる。その後、職場に行って昨日撮った写真を配る。先々代のボスがいたので挨拶をする。
昼ぐらいだったので、行きつけのカレー屋で昼食。それから酒買って帰った。

帰ってからは、少し昼寝して、水が出るようになってから再び掃除。かなり部屋はきれいになった。これならアリーもこの部屋に女性を連れ込めるだろう。これで帰国に際してやるべきことはほぼ終了した。

夜からラウトカ隊員他1名で、ラウトカで一番高級なウォーターフロントホテルのレストランに行った。ここに来てまでチョプシーとチリチキンを食べた。9時ごろお開き。家に帰ってしばらく飲んで11時半就寝。

3月19日
土曜日。朝からタウンに行く。いつものチョプシー屋「ナニース」でラストチョプシーした。初めてラージを頼んだ。私とキット君と謙三君は完食、アリーは喰いきれず。真下さんはライスを食べず具だけ食べてた。とにかくチョプシー魂をキット君に継承できたはずだ。しかし、この店には2年で200回以上通った。またいつか来たい。
この後パーティーに備えて大量の買い物をして帰った。

家に帰ってさっそく酒。ほどなくしてスバから板長さんがやってきた。2時半に真下さんが帰っていったので、安心した私は仮眠。6時ぐらいに起きると、キット君と殿田君しかいなかった。他はナンディに合コンに行った。晩飯はステーキ丼。酒のつまみは牛タンと贅沢だった。7時ぐらいに湯川さんがやってきた。普段飲まない人だが、今日はとことん飲むと宣言。テンションが上がる。
10時ぐらいにアリーと小林さんが戻ってくる。合コンに合流できず、かなり怒っていた。その一時間後、合コン主催者の茂田君が戻って来たが、すぐに寝てしまった。私も便乗して寝ようと思ったが、止められる。結局12時半就寝。あと2日。

3月20日
帰国前日。昨晩チョプシーが食べたいという要望があったので、朝飯に作った。でもコーンフラワーが無かったので、とろみが無く、単なる野菜炒めかけご飯になった。その後アリー達が酒の補充に行って、帰ってきてから再び酒盛り。私はラウトカチキンを焼いた。昼ぐらいに迫田さんが来た。ナンディから吉川さんも来た。昼過ぎに美川さんが来て、カードくれた。その後湯川さんがスバに帰っていった。彼とはまた逢う事になるだろうから、涙は出なかった。吉川さんがシャレンの車で帰っていった。それから板長さん他2名も来た。
皆は盛り上がっていたが、私は途中で抜けて、最後の帰国準備を行った。若干の重量オーバーだが、何とかなるだろう。

夜の部ではアリーが既につぶれていた。キット君、殿田君、茂田君も9時ぐらいに帰っていった。結局最後の晩は小林さんと板長さんと私の3人だけの意外な取り合わせになった。かなり飲んだ。2年間酒飲んでばっかりだったが最後までそうだった。

3月21日
最後の朝。二日酔いで吐きそうだったが、最後の準備を淡々と行う。7時にナンディ空港に向かう。しかし、家での見送りは無し。見送る人も全員が空港に来るからだ。なので心の中で2年近く済んだ我が家にそっとお別れを告げた。ちなみにこの時のメンバーは、私、小林さん、アリー、キット君、迫田さん、殿田君、板長さんの6人である。

空港では最後の仕事が残っていた。荷物は20kg以下という制限があるのだが、私のは最終的に22.8kgとオーバーしてしまった。これをどうごまかすか?しかし、これはオーバーしてるだろうと。係員から言われたが、とくにいいわけしなくとも結局追加料金は取られなかった。

その後皆でラストフィジービターを飲んだ。私は元々二日酔い気味でやめといた方がいいのは分かっていたが、これも何かの儀式と思って最後は白バウンティーもいった。
ここしばらく、フィジードルを使いまくったが、それでも1000ドル以上余ったので、その内1000ドルを調整員に託して震災復興のために寄付し、残りはアリー君に寄付した。これでフィジーでやり残したことは完全になくなった。

そして、いよいよやって来た別れの瞬間。アリーが横にいたけど、しばし沈黙。しかし、これまでのお礼を伝えなければと口を開くと色々と止まらず、結局は抱き合って…ハンカチ持ってこればよかった。

飛行機が離陸する瞬間、泣いてた隊員もいたかもしれないが、私の心は意外に淡々としたものだった。フィジーにやって来た時、2年という期間は長すぎて、あまりリアルに想像がつかなかったが、今こうして実際に2年の月日がたち、帰国の飛行機に乗っているという事実に感概というより何やら不思議な感じを覚えた。2年だろうが、どれだけ長い年月だろうが、その間に無数の思い出があったとしても、時間は滞ることなく確実に過ぎ去るのだと。きっと、人生全体についても死ぬ時はそんな感じかなあと思う。

さて、途中韓国でのトランジットもあったが、日本時間夜9時ぐらいに空港に無事到着した。荷物の検査もされなかった。空港から皆で貸し切りのバスで東京に向った。2年ぶりに見る日本の景色。しかし、30年住んでいた国なので、それぐらい離れていたところで違和感は感じない。むしろ日本ではありえないフィジーのでこぼこ道や、沿道のサトウキビ畑の光景が夢だったように感じる。本当に自分は遠い国に行っていたのだなあと改めて思った。

六本木で降りて、私と小林さんは広尾のホテルにタクシーつかまえて行った。日本のタクシーは料金高いけど、運転手も丁寧だし、やはり質が高いと思った。
結局11時にホテル到着。フィジー時間だと午前2時。飛行機の中で寝ていたので、それほど眠たくはなく、さっそく日本を満喫することにした。気になっていた震災関連のテレビニュースを見る。深夜一人で外出してラーメンを食べた。超美味い。フィジーでもラーメンは何度か食べたが、やっぱり日本のレベルが違う。そしてコンビニで本と野菜ジュースを購入。とにかく全部日本語で済むのが楽でいい。もう下手くそな英語を使わなくていいのだ。

しばらくの間、日本の良いところばかりが目に付くだろう。しかし、ここは楽園ではないことはさすがに分かっている。何に対しても、誰に対しても高い基準を要求する息苦しい国なので、自由人の私には、この先苦労も多いだろう。そして、そんな時フィジーのおおらかなところが、例えば、お前結婚してのか、とあいさつがわりに聞いてくるタクシー運転手や、でこぼこ道を爆走する危険なミニバスや、蟻が中に入りこんでいるインスタントラーメンのことをたまらなく懐かしく思いだすのだろうか。それでも私はこれから自分の意志でこの国で生きて行く。心の隅にフィジーを残して。

nihonramen
日本のラーメン。美味すぎる。本当にこれだけは日本に帰ってきてよかったと思う。

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