仕事納め

<概要>
帰国日は3月21日だが、職場への出勤は7日が最終となる。最期の日は最終発表会で、同僚から感謝の言葉をいただき、泣きそうになった。
また、最後の旅行として、仲良しの湯川さんとオバラウ島(レブカ)を旅行したのも良い思い出である。

2月24日
今日から26日まで旅行に出かける。多分最後の旅行になるだろう。百年以上前だが、フィジーの首都は現在のスバではなく、オバラウ島という別の島にあるレブカという町にあった。現在はのんびりした離島ではあるそうだが、島内のいたるところに旧首都の古雅が残ると言う。レブカに行かずしてフィジーに行ったことにならない、ということで湯川さんと二人で行ってきた。

ラウトカを7時前にでて、スバに到着したのが12時。腹が減ったので急いでラーメン食べてバス停に戻って来たが、それからバスは30分ぐらいしてから来た。それから港までバスで行って、昔関西空港付近を運航していたらしいフェリーに乗って5時ごろオバラウ島レブカに到着。この日はほどんど観光せず。ロイヤルホテルと言うフィジー最古のホテルに宿泊したが、正直ただの安宿であった。蚊が多いし、隣の部屋との間の壁が薄くて、白人観光客の声がうるさかった。ワインを飲んで湯川さんと話をしていて、寝ようかと言う時に時刻を知らせる遠い鐘の音を聴いた。確かに他の街にない風情だ。

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旧首都レブカ。今は穏やかな港町である。しかし、島内には古い教会など、歴史と威厳をを感じさせる建造物がいたるところに残り、在りし日の繁栄を思い起こさせる。

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立派な教会。

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歴史ある安宿、ロイヤルホテル。

2月25日
朝7時宿を出発。オバラウ島一周徒歩旅行に出かけた。地球の歩き方の地図を見れば一周35キロ程度なので、陸上一筋の湯川さんと元歩兵部隊の私ならたやすいことと思って、気軽に行ったが、この後散々な目に逢う。

街を外れると、すぐに砂利道になって、さらに行くと山道になった。それでも初めの3時間ぐらいは余裕だった。しかし、それ以降は上り下りの連続で、地図上の距離以上に疲れる。また、このは快晴で、昼間はほぼ垂直から日光が照りつけるので、日陰がなく、どこまで歩いても直射日光から逃げられなかった。持って来た水はすぐにお湯になったが、喉が渇くので休憩ごとに飲んでいたら行程の半分ぐらいで底を尽きかけた。これはちょっとやばいかも、と出発5時間後ぐらいで思った。

行程の半分を過ぎた所に空港があるはずなので、そこの売店で冷たい飲み物を飲もうと、それだけを心の支えにして歩を進めた。途中出会ったフィジアンに空港まであとどれぐらいか、と聞いたら10分だと言うので最後の力を振り絞って進むが10分たっても何もない。しばらくして他のフィジアンに聞いたら後3分だと言う。そしてそれから空港にたどり着いたのは13分後だった。空港はその日の便が終了していたせいか、無人であった。なので冷たい飲み物はなかった。しかし、水道があったので十分に水分補給ができ、水浴びも出来て、小屋で休むことが出来た。この空港が無かったら、途中で倒れていたかもしれない。砂漠の民のオアシスに対する気持ちが分かった。

体力を回復した後歩き始めたが、出発9時間立った所で、歩くのを止めた。と言うのはこのまま歩いて行くと、街に着くのは夜になって店が閉まってしまうので晩飯抜きになってしまうからだ。バス停のフィジアンとしばし語らう内に、乗り合いタクシーがやってきたので、それに乗って帰った。
一周は出来なかったが、80%程度歩いた。初めは一周35キロと踏んでいたが、結局50キロはあったものと思われる。まいった。この日消費した水分は5Lという超ハードな旅行だった。

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行程の中ごろは坂道の連続。そして強烈な日差しと暑さ。旅行と言えど、リゾートとは無縁の修行の旅であった。

2月26日
朝4時過ぎ宿を出発してスバに向かう。結局ホテル代と、交通費あわせて140ドルぐらいの安い旅行だった。体力と精神を鍛えることができて良かった。
昨日の疲労のため、眠い。スバ到着が9時ごろ。そこで湯川さんとお別れして、ナンディにパシフィックトランスポートのの最新バスで向う。そのバスでCPに会った。この国は小さいのでいたるところで知り合いにあう。昨日もレブカで、市役所のワーカーさんと会った。
ナンディに2時ごろ着いた。SVのNさん所で、西部地区歓送迎会があるのでそれに遅れて参加した。総勢16名の過去最大の歓送迎会だった。いよいよ私も送られる側になった。すこし感慨もあるが、思ったより淡々としている。到着してすぐワインをがぶ飲みしたので一時間で寝てしまう。起きてタクシーで帰って、再び茂田君と殿田君とで酒盛り。しばらくしてアリー・キットが帰ってきたので私は再び睡眠。9時半頃起きて再び酒盛り、10時半ぐらい再び睡眠。

2月27日
日曜日。朝6時前起床。昨晩の宴会の後が生々しく残こる。アリー、キット、茂田君、殿田君、中本君が寝ていた。とりあえず食器を片づけて、ご飯炊いた。8時ぐらいに朝飯。そして朝9時から再び酒。経験上、朝ビールは休日一日をダメにすることは分かっていたが、もういいやと思って飲んだ。野郎ばっかしだったので気が楽で、適当に肉とか食べたりして12時前就寝。5時ごろ起きるとメンバーが減っていた。それから茂田君特製あんかけチャーハンを食べて、元気出てきた。ギターでひとしきり歌う。8時ぐらいから再び酒。11時ごろ就寝。
フィジーで過ごす休日はあとほんのわずかであるが、またもや自堕落な一日を過ごしてしまった。いや、結局のところ、私にはこういう生活が似つかわしいのだろう。こんな私につきあってくれてみんなありがとう。

2月28日
月曜日。仕事はあと一週間。そろそろ本気で報告書や最終報告のプレゼン資料を作る。ずいぶんと進んだ。

3月1日
とうとう最後の月になった。朝いちでCPに最終報告書に添付する活動結果表を見せてコメントをもらう。そして、作業場に行って最後のペンキ塗り。あと1000枚ぐらい残っているけど、それはワイスがやってくれると信じたい。その後コンポストヤードで最後のモニタリング。まあ、大きな問題はないだろう。作業員のおじさんにしこたまグロッグを飲まされる。ありがとう。
これから仕事も生活も、色んな事を一つ一つ終わらせていかなくてはいけない。こうした作業がフィジーとのお別れの実感を感じさせる。
また、チョプシー食べても、あと何回これが食べられるのかなあ、とかつい思ってしまう。
帰国の日はあっというまに来てしまうはずだが、貴重な日々を忘れないように日記につづっていきたい。

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自宅から撮った虹。

3月2日
今日は一日中オフィスで報告書作り。かったるい。昼飯にこれで最後とスーイ(牛肉スープ)を食べた。美味かったが、オフィスに帰ってしばらくして猛烈に胃もたれして苦しかった。家に帰ってもしばらく寝込んでしまった。何か入っていたのか?

3月3日
もう現場に行くつもりはなかったが、新たに届いたホームコンポスターのチェックを手伝ってくれと言われたので資材置き場に行った。まだ、私の力が必要なの?いやあしょうがないなあ。
さて、来年度は80個頒布するようである。それが今日届いた。
時々、ふたが閉まらないコンポスターがあるので、届いた時にチェックしなければならない。これを30ドルないし55ドルと有料で販売する以上、品質には責任を持たなければならないので、私がダメと思ったコンポスターは容赦なくハネた。そしたら、コンポスター屋のおっちゃんは明らかに困惑して、むりやり蓋を閉めて、OKにしてしまった。それでも私がこれはダメだ、とつっぱねたが、最終的に私の同僚がOKを出したので、結局全部OKになった。返品とかになると、業者はおろか、同僚も面倒くさいことになるので、やりたがらないのだ。
結局ツケは、市民に回る。やれやれ、まあこれがこの国のやり方なら文句は言うまい。最後までフィジースタイルを実感した。
今日は7時前から一人で飲んでいた。なんだか前ではなく後ろを見てしまう。そういや日本も卒業シーズンだなあ、と感慨にふける。しばらくしてアリーが帰ってきたのでいつも通り酒盛り。こういうのもあと数回だなあ、とこれまた湿気っぽくなる。さて、明日が実質最後の仕事だ。どう過ごそうか。

3月4日
仕事納めの日。最後の仕事は一軒学校に行って、コンポスターのチェックをすることだった。しかしもう、私の助けがなくとも、みんなうまくやるに違いない。ゆっくりで適当な所もあるけど、彼らのスタイルで確実に前に進めることはもう分かっている。心配はしてない。

その後、私の机の引き出しを片づけていると、活動初期の書類が。いっぱい出てきて、感慨にふけりながらつい読んでしまう。全部捨てるのも惜しい気がしたので、まだ利用価値がありそうなのは箱に入れて後任に渡してもらえるようにたのんだ。机周りも全部片付けて、私の机には何もなくなった。また一つ、終わらせた。

片づけの途中にCPから、お前腕輪とか好きか?と聞かれた。正直アクセサリーのように身体に何か着けるのは好きではないので、あんまり好きじゃない、と答えた。するとCPは少し困った顔をして、実はお前に腕時計を送ろうと思っている。お前も時計した方がいいよ。もし、あげたら、日本帰っても着けてくれるかい?
私は驚いて、もちろん、と言った。思いがけないCPの気持ちに少しグッときてしまった。

ここにきて私に新たな心配が生じてきた。それは、
「最終報告の時、泣いてしまうかもしれない」
それだけは避けなくてはいけない。その時は何か別の面白おかしい話でも思い浮かべてしのぐとしよう。キット君の当たらない天気予報の話とか。
しかし、それ以前にプレゼン資料まだ完成してないし、それを土日で何とかしなくてはならない。
もうひと頑張りだ。

●過去を振り返って
「キット君の当たらない天気予報の話」とは、
キットが山の方に雲があると雨が降る、と自信満々で言っていたものの、全く降らず、しばらく周囲からネタにされていたこと。

3月5日
土曜日。私とアリー・キットの3人で朝からタウンで買い物。そして、10時からいつものナニースで朝チョプシー。辛い物が大の苦手だったアリーがチリをかじりながらチリチキンを食べていたのに感動した。「俺がテーブルのチリを全部食べたら店のおばちゃん困るから、2本だけにしてやったぜ」だそうな。
ちなみに彼は苦手のはずの水道水も飲んでいた。もう私が言う事は何もない。嫌がらせのように庭にチリを植えたり、チリの酢漬け作ったりした私の活動は想像以上の成果を上げた。また一つフィジーに未練が無くなった。ついでに、この日は庭に植えているタイプとは異なる小さいチリを買ってきて、少し乾燥させてタネを取り出し、日本で栽培しようと思っている。

その後、酒を大量に買って帰宅。12時ごろからラウトカナンディ撮影旅行に行った。土曜日はタウンが最もにぎわうので良い映像が取れた。
しかし、ラウトカのメイン通りを歩いている時、後ろが引っ掛かる感覚があったので、はっ、と思って振り返ったら、後ろのフィジアンのおっさんがイクスキュースミーと言ってきた。そしてやはり私のリュックのファスナーが開いていた…。すぐに反応出来たので物は取られなかったが、危なかった。最後の最後で犯罪に遭ったらフィジーが嫌いになるに決まっているし、それは避けたい。これから帰国するまでも気が抜けない。家に帰るまでが協力隊だ。
家に帰ってアリーと酒盛り。結局最終発表の準備は全くしなかった。明日明日…。

3月6日
日曜日。サマータイム終了。一時間時間がずれた。
明日がアリーの誕生日なので、今日はパーティーをした。アリー、私、小林さん、中本君、謙三君、キット君、茂田君、美川さん、迫田さんの9人が集合した。茂木君がロブスターを持ってきてくれたのでそれを刺身にした。超美味かった。私はアヒルの丸焼きを作った。いつもはチキンで作るけど、今日は特別という事でチキンの3倍の値段のアヒルにした。チキンも美味いが、アヒルもこれまた美味い。美川さんがケーキを持ってきて、そのほかの皆さんも酒とか持ってきてくれて、大変賑わった。また、それぞれが誕生日プレゼントを献上した。私は昨日キット君と買いに行った、ラグビーフィジー代表Tシャツと赤いスルをプレゼントした。
最後は茂田チャーハンwithチリで撃沈して寝た。
最終発表明日なのに準備が終わらなかった…。

3月7日
【最終報告及び最後の出勤日】
夜が明ける前から雨が降り続いていた。最終発表の準備に没頭していると、いつの間にか出勤時間が迫っていた。今日ぐらいはブラシャツを着て出勤しようかと思ったが、結局いつものワイシャツで出勤した。雨はまだ止んでおらず、バスを使った。

市役所の前まで行くと、ビデオカメラのスイッチを押して録画開始。入口を入って階段を上り、保健課のドアを開けて受付に座っている同僚に挨拶して自分の机に座るまでを記録した。それはこれまで数百回と繰り返してきたいつもの行動であるが、やはり最後の一回となると名残惜しい。当たり前の日常も最後となれば特別だ。見える景色も違ってくる。
最終発表は午後からなので、午前中は大してやることはなかったが、私の使っていた文房具と、使ってなくて新品の文房具を大量にプレゼントした。皆喜んでくれた。その他は、私の2年間で作成した文書や撮った活動の写真をDVDに焼いて、カウンターパートに渡した。

ランチは保健課の皆で近所のレストランに行った。こういうのは初めてだった。メニューはヤギカレー、アヒルカレー、フィッシュカレー等で、明らかに特別だった。しかもちょっとだけビールもいただいた。彼らの本気が伝わってきて嬉しかった。

そして、2時過ぎから最終発表。同僚の他に、仲間の隊員も5人駆けつけてくれて、会場は思ったよりも賑わっていた。
発表では、まず、私自身フィジーを楽しめたこと、それは皆さんのおかげですと言う事を伝えたかった。高邁のボランティア精神に導かれてフィジーにやって来た人間ではないので、そこは重要なポイントだった。そして、活動に関してであるが、自分では自分の活動に、どう評価してよいかわからなかった。しかし、発表が終わって、ボスやカウンターパートから温かい感謝の言葉をもらって、ようやく肩の荷が下りる気がした。大活躍とはいかなかったが、日々の地道な作業が及第点に達したらしい。一応、私の活動も成功と言う事にして良いだろうか。最後に腕時計とメッセージカードを記念にもらって最終発表が終わった。

発表が終わって、ジャイカ専門家の川島さんにCPに渡したのと同じDVDを渡して、これまでのお礼を述べた。彼女は同じ年だが、本当に優秀な人で、いつもお世話になっていた。彼女はあともう一年、この廃棄物プロジェクトに関わるのでラウトカも安心である。

これで本当に終わり。しかし、やり残したことがないか、しばらく自分の机でぼんやり考えていた。特になかったのでメッセージカードを開いたら、泣きそうになったのですぐにカバンにしまった。

さて、やることはやった。いよいよここを出る時だろう。同僚たちに最後の別れを言って、保健課を後にした。が、それから他の部署にも挨拶に連れ出された。私が今日で終わりということを知らない人も多く、驚く人も多かったが、皆から温かい言葉をかけてもらって涙がこぼれそうになった。最後はお茶くみのおばちゃんにキスされて、ラウトカ市役所を後にした。名残惜しいが、振り返ったら多分泣いてしまう。前だけ向いて、まっすぐ早足で家に帰った。

家では2年間を振り返りつつ静かに過ごしたかったので、特別な事な何もせず、少し酒飲んで、あとは自分のベッドで横になっていた。

farewell
フェラウエルランチ。やっぱりフィジーのカレーは美味い。たらふく食べたが同僚はそれ以上に食べていた。

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