フィジーに家族を招待

<概要>
任期も残りわずかになったので、家族をフィジーに招待した。実は以前から誘っていたのだが、家族はあまり乗り気ではなかった。しかし、もう最期だからと強く誘って、ようやくやってきた。
俺が誘ったのは父、母、姉だが、なぜか親戚のおじさん・おばさん・いとこ、友人のおじさん・おばさんもやってきた。総勢8名の御一行である。
フィジーは日本では珍しい国だし、良い機会ということだろう。皆さんからは世話になっていたので俺ももてなす義理はあったし、張り切った。

仕事は徐々に収束に向かっていく。

2月4日
午前中にジャイカの視察団がやって来た。私は素朴に、自分の活動を手短に紹介して、現場案内して終わりと考えていたが、ジャイカが事前に出したレターのため、ボスがこの視察を深刻にとらえ過ぎて、市長のあいさつがあって、かなりリッチなティーが出された。そのおかげで現場視察の時間がかなり削られた。私の最終発表では市長・ティーなしを強く主張しようと思う。めんどくさいから。

そして、午後からタクシーでナンディデナラウに向った。なぜなら一族が日本からやってきているからだ。総勢8名。私が招待したのは両親だけなのだが、どういうわけかこの人数に膨れ上がって、どう対応していいか、ここしばらく頭を悩ませていた。隊員も現地に慣れてくると、両親や友人を呼ぶことも多いが、8人は私の知る限り新記録である。
とりあえず、今日は両親だけをラウトカに連れてきて、職場の案内をした。同僚は温かく迎え入れてくれて、グロッグも出してくれた。母親は結構好きかもと言っていた。その後、ラウトカホテルのレストランで食事をしたが、結構フィジーの料理を気にいっていた。フィジービターもなかなかいけるという感想であった。4時ごろ両親はデナラウに戻り、私は買い物をしてから自宅に戻った。
明日は8名様に街を案内したあと、自宅に招待するので、忙しくなる。料理を10人前作らなければならないが、これまでの修行の成果が問われることになる。

2月5日
今日は一日中、フィジーにやって来た一族を案内していた。
朝から料理の下準備に追われる。ある程度やって、デナラウに向う。9時に到着、八名様御一行と合流して、ハイヤーで一日ツアーを開始した。道中でフィジーの解説をしつつも、まずは、ナンディタウンでお土産屋さんに連れて行った。皆、ココナッツ石鹸とか気前よく買っていたら、片言の日本語を話せる店員に囲まれていた。私も店の人から彼らを連れてきたお礼を言われてしまう。

次はラウトカの市場を案内した。値段の安さと、フィジーにはない野菜が印象的であったようだ。また、ここからでる生ごみを私が堆肥化していると言う話ももちろんした。ハイヤーのドライバーが見学終わったら電話して来い、すぐに戻ってくるから、と言っていたが、実際20分ぐらいして電話すると電源切ってやがって、それから結局20分またされた。電源つけとけ、と怒ろうと思ったが、ラウトカ暑いねー、とか言ってごまかされた。まあいいけど。
そして、我が家にご招待。まずはウエルカムの意味でグロッグの洗礼。やっぱり、マズー、と言う感想だった。
そのあとはアリーのサポートを受けて、料理を次々に作っていった。今日出した食べ物・飲み物は、

キャッサバ
ダロイモ
チリ
ロティー
レバーカレー
チョプシー
フィジービター
フィジーゴールド
バウンティー
バウンティーブラックラベル
フィジーウォーター

…、とにかくこれがフィジーだと言う料理をひたすら作り続けた。これまでの料理修業の集大成だった。忙しくて写真撮る暇もなかった。しかし、受けは良くて面目は立った。あと、アリーには場を盛り上げてくれて、片づけも彼にやってもらって助かった。
メインイベントが無事終了して、デナラウのホテルに9人で戻った。5時ぐらいからディナークルーズに行った。船の上で生演奏付きのリッチなお食事。ロブスター2匹食べて腹がパンパンになった。
8時半ごろ終了。私は高い金出してタクシーで帰宅。しかし、私のポケットには使った分以上の金が入っていた。
家には、客が来ていてにぎやかだった。さっそく日本酒を開けていて、盛り上がっているようだった。
私は疲れていたのですぐに寝た。

●過去を振り返って
両親はいっぱい日本食を持ってきてくれた。
なお、この日の夕食はナンディの日本食レストラン「一休」だったそうな。まだ2日目なのにもう日本食が恋しいとは。思わずズッコケた。

2月6日
aoiumi
今日は朝から離島の半日クルーズに参加した。フィジーは青い海、という印象だが、実は本島近隣の海は濁っていて、あまり青くない。たぶんガッカリする人も多いといもう。だから、きれいな海を見るには、離島にいくべきなのである。

9時にデナラウポートを出発して、9時半にサウスシーアイランドに到着した。30分船で行くだけで、海の色が全く変わってくる。天気もよく、8名様御一行が期待していた青い海をみてもらえて安心した。歩いて一周10分ぐらいの本当に小さな島で、泳いだり、貝殻拾ったり、潜水艇に乗って珊瑚と熱帯魚見たりして2時間過ごした。皆にイメージ通りの南の島を満喫してもらえてよかった。
12時ごろホテルに戻って、しばらくしてナンディタウンに昼食と買い物に行った。昼飯は中華だったが、皆の想像を超えるレベルの味だったみたいだ。受けは良かった。
さて、これからが今日のハイライトである。

昨日衝撃の事実が判明した。8名様御一行のうちの、親戚のおじさんおばさんであるが、私が日ごろお世話になっている、ナンディの隣のシンガトカのNGOオイスカのYさんが知り合いだと言うのだ。昔の会社の上司と部下で、Yさんに仲人やってもらったそうな。
かなり長い間会ってなかったらしく、是非ともご挨拶したいと言う事で、昨日私がYさんに連絡を取って、本日の再会に至った。おじさんおばさんを引き連れて、ナンディのバス停に行って、Yさんと再会。皆かなり懐かしがっていた。そして3人をエアコン効いててコーヒーが飲める店に連れて行って、私の役目は半分終わり。その後しばらく他の方々のお土産ショッピングにつきそった。しかし、英語がほとんどしゃべれない彼女らであるが、大阪のおばちゃんなので、よくわからんが、うまく買い物していた。のみならず値切っていた…。あまり私の出番はなかったが、最後にタクシーだけ拾ってあげて、デナラウのホテルに戻ってもらった。

そして、私はおじさんおばさんの所に戻って、そろそろYさんのバスの時間なので、引き上げた。Yさんをバス停まで送り、おじさんおばさんのタクシーを拾って、値段交渉して見送って、私の任務終了。奇跡の再会は成功、喜んでもらえてよかった。
一人になった私はミニバスでラウトカに戻った。あまりに疲れていたので7時ぐらいに就寝した。

2月7日
一族が帰国するので、朝から空港に見送りに行った。空港についてすぐ、なぜか、迫田隊員から電話があって、彼女も空港にいるとか言っている。私は忙しいのでそれはスルーして後ほど挨拶しにいこうかと思っていた。
それはともかく、チェックインカウンターには8名様御一行が既に集合していた。この旅行は大きなトラブルもなく、体調を崩した人もおらず、皆概ね楽しんでくれたようだ。また日本で、とか、あと一カ月頑張れ、とか別れを惜しんでいると、後ろから突然迫田隊員が現れた。
「こんにちわー、誰がお父さんとお母さんなの?」
いきなり、会話に入ってきて驚いた。しかも自己紹介とかはじめてるし。一族が好奇の目で彼女を見ている。そして私は必死に弁明した。この人はスバの同期隊員で、ここにいるのは友人を迎えに来たからで、ここで出くわしたのは「偶然」だと…。
変な事を口走る前に彼女をその場から引き離したが、一族の集合写真を撮る時になぜか、彼女も入って来た。なので、記念の一枚には彼女が私の隣に映っている。まるで家族の一員みたいだ。
私は最後まで誤解を解こうとしたが、皆が最後のゲートに入る所にも彼女は付いてきて私の隣で手を振っているし…。
どう考えても、
「彼の両親に会いたくって、彼に内緒でサプライズで来ちゃった(ハート)。」
的な状況だった。

でもまあ、後から考えれば、私は独り身なので、別にかまわないのだが。

それからしばらく彼女の友達が来るまで、ロビーでお付き合いして、その友達が来ると私はラウトカに帰った。
家に帰って、安心したのか、腹が減って、飯食べて、寝た。
2時半ぐらいに起きると何故かアリーがいた。3時ぐらいから二人で酒盛りスタート。
6時に酔いつぶれてまた寝た。

●過去を振り返って
母親はこの1年数カ月後に病気で亡くなった。本当に招待してよかった。

2月8日
私の最終発表が3月7日に決定した。なので、その日まで出勤する事になる。本当は2月いっぱいで活動を打ち切って、のんびり過ごそうと思っていたのだが、話の持っていき方を間違えた。それにしても、帰国準備は何もしていない。みんな日本に荷物を送ったりしているが、私は何もなし。はっきり言って、そんなことより、次の3連休何しようかの方が気になっている。暇やし。
朝からペンキ塗りと分別収集拡大広報活動の2択を迫られたが、ペンキ塗りを選択した。これから一カ月ペンキ塗りが続く。
ティーの時間は作業場の近所にあるアリーの学校に行ってインディアンスナックを食べた。学食みたいに安くて腹が膨れるやつなので、昼飯が食えなかった。
夜はアリーがいないので一人で酒盛り。残り一カ月の事を考えていたらいつの間にか夢の中だった。

2月9日
今日もペンキ塗り。正直もう飽きたが、まだ半分以上残っている。相棒のワイスも今日はサボり気味。私もサボりたかったが、持ち前のボランティア精神で今日は切り抜けた。でも、さすがのボランティア精神も、もうほとんど残っていない。明日からどうなるのか。
私は週末の3連休の予定がまったくない、寂しい隊員たったが、やることが出来た。もう一人寂しい隊員がラウトカにいた。キット君である。このイケてない二人で2泊3日でビチレブ島一周チョプシー合宿に行くことにした。多分10食以上連続してチョプシーを食べ続ける苦行の旅になるだろう。そしてこれを機に、チョプシー協会会長を引退して、キット君に後をついでもらうつもりである。
アリーは海のきれいなヤサワ諸島にサッカー合宿に行くが、チョプシー合宿とはえらい違いである。

●過去を振り返って
こんなバカに付き合ってくれたキットには感謝である。

2月10日
・オフィスから現場に向かう車の中で、同僚で最年少のミトンが、なんでお前は女を作らないんだという、お決まりの会話をしてきた。俺はそんなことより自由が好きなのさと、お決まりの返答をする。でも今日の彼はいつになく熱心で、お前ももうすぐ日本帰るんだから俺が何とかしてやるよ、中国人の友達にたのんでやろうか、とか言ってくる。お前は一生独りでいるつもりなのか?病気になったら誰が世話すんの?…いやマイセルフで。手術とかしたらだれが世話するんだ?…ノーバディ。
現場の作業員のおっさん連中にも、お前一人なのか?フィジアンガールを紹介してやる、結婚してフィジーに住めよ、とか言われてしまう。私はそんなに寂しそうに見えるのだろうか。

・今日も作業場でペンキを塗っていると後ろの犬小屋から切ない鳴き声が聞こえてくる。市役所では野良犬の駆除のため、毎日罠で犬をつかまえてきてここに運んでくる。そして毎週金曜日に薬殺されてしまう。つまり明日で、犬小屋のワンコ達の命は終わりである。多分わかっているのだろう。悲鳴のような声で鳴き続けている…。ペンキ塗りするにはあまりに暗いBGMである。

・いつものカレー屋のおばちゃんから、あんたこの前テレビで観たよ、と言われた。先月、ちょっとだけだが、ジャイカのプロジェクト関係の特集のTVがあって、それに10秒ぐらい映っていたのであった。おばちゃんも良く見ているなあと思ったし、案外私も有名なのかなあとも思った。

2月11日
金曜日。ペンキ塗りをやっているすぐ後ろで、処分されるワンコ達の断末魔が聞こえる…。今日は数が多かったので3時間ぐらいやっていた。悲惨としかいいようがない光景が広がっていた。しかしながら、不憫に思ったのか、心優しい運転手のおっちゃんが、仔犬と、大きいけど見た目が良い犬の2匹を引き取ってくれた。ちょっとだけ救い。

夕方から、本日ラウトカに着任された、新隊員古里さんの第一回歓迎会を開催した。私とキット君と彼女の3人でいつもの高級中華に行って食事をした。彼女も飲める人なので良かった。帰国費用が出て、フィジードルの余っている(?)私は調子に乗って一番高いワインを注文。さすがに美味かった。そして明日からチョプシー合宿に行くのにもかかわらず、チョプシーを注文した。余談だが、私は昼飯もチョプシーだった。
店を出た後は3人とも私の家に来て、バウンティを飲んだ。なかなか彼女の口にもあったらしい。頼もしい限りである。私はそれで安心して、途中で寝てしまった…。

2月12日
土曜日。今日から3連休を利用してチョプシー食べ歩きビチレブ島一周ツアーを実施した。キット君と二人で10時前にラウトカを出発。11時40分に隣町のバに到着した。となり街ではあるが、これまであまり来たことがなかったので、その街なみは興味深かった。意外に都会であったという印象。レストランもいっぱいあった。少し歩いて、中国人経営っぽい、店先にメニューが置いてあって、そこにチョプシーがあった店を選んだ。絶対ここは美味いで、と自信満々に入店したが、初っ端から大外れだった。不味い上に、量が半端じゃなく多い。こいつをかたずけるのに胃の容量を7割は使った。しかし、4.5ドルという値段は安い。安くて量が多いという学食みたいな店だった。

店を出て、しばらくバをウロウロするともっと美味しそうな店がいっぱいあってへこんだ。
次はバの先にあるタブアという町に移動した。バスで30分ぐらいであった。バに比べて規模は小さいのでレストランも少ない。しばらくぶらついてその中の一件に入った。既にほぼ満腹状態だったので、得盛りは勘弁してほしくて、店員がご飯を大量に盛っているのを見てストップをかけた。多すぎると。ここも4.5ドルと値段は安いが、なんでこんなに大盛りにしたがるのか、これがフィジー北部の習慣なのか。
さて、ちょっと量を減らしたが、それでも普通サイズはあるチョプシーとチリチキン。必死になって食べた。二人とも胃が破裂しそうだった。チョプシー合宿は早くも苦行になって来た。
次はそこからバスで1時間ほど行った所にあるラキラキという町に行った。満腹状態の二人に、ここで強力助っ人登場。この周辺に赴任している茂田隊員である。彼に案内してもらって一軒目に突入。味はバ、タブアより上であったが、既に疲弊しきっている私とキット君にはそれを楽しむ元気がなかった。それでも最後の力を振り絞って半分ぐらい食べた。そして残りは茂田君の胃袋に入った。彼は大食いということで大変頼もしい。そして、彼はもう一軒行こうと言ってきた。本当に100%満腹であったが、その申し出を拒否する事はチョプシー協会会長としての意地が許さないのであった。
ということでラキラキ2軒目突入。私はちょっとだけ食べてあとは沈黙していた。身体から変な汗が出てきた。茂田君が食べている間ずっと下を向いていた。苦行以外の何物でもなかった。

5時半頃、3人でスバに向った。道中は未舗装道路の区間もあり、また、急行ではなく普通バスだったので非常に時間がかかった。私も胃の苦しみに必死に耐えていた。しかし、もっと苦しみに耐えている人もいた。あと1時間しないうちに到着かなあと思っていたら、茂田君の様子がおかしい。腹が痛いらしい。どうしても我慢できなかったらみんなで途中下車しよう、と言ったら、あっさりギブアップして降車ベルのひもを引っ張った。本当に限界を超えていたのであろう。私は彼にトイレットぺーパーを渡して野グソスポットを探したが、案外街中だったので明るいし、人目に付く。彼は野グソをあきらめて、目に付いた民家にトイレを借りに行った。その民家の人はパキスタンから来たイスラムの聖職者で英語が通じなかったようだが、誰かに通訳してもらって中に入っていった。私とキット君はそれを遠くから見ていた。10分ぐらいして彼が憑き物が取れたような顔で帰って来た。フィジーは人情に溢れている。それともアラーの神の思し召しだろうか。日本だったら、外国人がいきなりトイレ貸してくれと言われたら、いい顔されないはずである。公開野グソか見知らぬ人にウンコさせてくださいと頼むのか、かなりシビアな選択だが、私なら公開野グソを選んだかもしれない。
そこからタクシーでドミトリーに行った。到着は10時過ぎだった。

軽くシャワーしていたらゲロ吐きそうになった。まだ胃の中にチョプシーがすべて詰まっている感じだった。やはり一発目のバの得盛りチョプシーがいけなかった。今日のツアーは味めぐりではなく、大食い選手権のようだった。
それは何とか堪えて、バウンティー牛乳割を3杯のんでいつの間にかソファーで寝ていた。
明日からもチョプシーツアーは続く…。

tokumori
バの得盛りチョプシー。これが最後まで尾を引いた。

2月13日
チョプシーツアー2日目。初めにスバの隣町のナウソリに、ナウソリ隊員の金田君の案内で行ってきた。日曜日なのでほとんどのお店は閉まっていた。しかし、なんとか一軒だけ開いていたのでそこで食べることが出来た。62点。平均よりちょっと美味しい店だった。
次はこれまたスバの隣町のラミにタクシーで乗り付けて食べに行ったが、残念ながらすべてのレストランが閉まっていた。本当に残念だったが、しょうがないのでスバに戻って、高級中華レストランでチョプシー。今回最高の75点だった。やっぱりスバは飯が美味いなあとあらためて思った。
帰ってきて昼寝。5時半に真下さんと晩飯に行った。ここでも食事よりも値段の張るスパークリングワインを注文した。食べ終わって、まだ酔い足りないのでドミに戻ってさらに飲酒。私は寝そうになったが、彼女がおこしてくるのでだらだらと飲んでいた。最後タクシーをつかまえてあげて、お役御免ですぐにソファーで寝た。

2月14日
チョプシーツアー3日目。10時前ドミを出発して、ラウトカ方面に一時間ほど行った所にあるナブアに到着。ここは、隊員も観光客もいない本当のローカルの街で、祝日と言う事も相まって、チョプシーを食べられる店が一軒しかなかった。しかし、その割にはなかなか美味かった。
その後シンガトカに移動。そこで、観光客向けの高いレストランでチョプシー。街をうろうろしていると、シンガトカ隊員の郷田さんに出くわした。お前たちもしかしてあれ?と、チョプシーツアーであることをひと目で見抜かれていた。
そして、最後に最終目的地であるラウトカに到着。もちろんラストチョプシーを食べた。やっぱり値段と味、両方を勘案した場合、チョプシーに関してはラウトカが一番ではなかろうか。
これにて3日に渡るチョプシーツアーは終了。フィジービチレブ島一周して、9食のチョプシーと8食のチリチキンを食べた。これでまた、チョプシーについて見識が深まり、おそらくフィジーの日本人の中ではトップ10に入っているだろう。そして、これを最後にチョプシー協会会長を後任のキット君に譲ることにした。私がいなくても彼ならやってくれるだろう。ビチレブ島をもう2周ぐらいしてほしい。
そしてまた、今回は普段行かないような、小さな町にも行けたので、フィジーをよく知る上でもよかった。
苦しいことも多かったが、それを克服した、有意義な旅であった。

さて、帰ってくると問題が。実は出発前日に洗濯機が壊れた。排水できない。ポンプが壊れているのか、何かが排水管に詰まっているのか、とりあえずばらそうと思ってやってみたがうまくいかない。しかし、私の同居人はメカニックである。彼の帰りを待つことにしたのであった。
そして、この日、アリーが帰ってきたので事情を伝えるとすぐさま、すごいスピードで洗濯機を分解し始めた。自動車に比べれば、洗濯機の修理など楽勝なのだろうか。あっという間に原因を突き止めた。原因はコイン6枚が排水弁に詰まっていたからである。私はよく小銭をポケットにいれて洗濯してしまうので、それがダメだったのだろう。基本的に機械はばらすより組み立てる方が難しいが、彼はほとんど一直線で再び組んでしまった。すごいの一言。
これはかなりカッコいい場面だったのだが、残念なのは目撃者は私一人であること。女性が見ていたらかなりグッと来た筈であるが、そういうのはなし。せめてこの日記に記録を残しておこう。

●過去を振り返って
アリーへのファンレター募集中(笑)。

2月15日
今日も環境教育からかけ離れたペンキ塗りに作業に精を出す。
晩飯の後、少し歌ってからチョプシー紀行を書こうかと思っていたら、歌っている最中にアリーが酒を作ってさりげなく私の前にグラスを置いた。まだ6時過ぎだった。それから酒の勢いでギターで歌いまくって、しばらくしてキット君がやってきて無理やり歌わせた。声が小さいということでダメ出しした。
結局、酒飲んで歌ってこの日は終了。なんもしてない。

2月16日
午前中はナンディで会議、午後からペンキ塗り。最近相棒のワイスがサボり気味。私の半分ぐらいしか作業してくれない。
7時から第二回ラウトカ新人歓迎会をラウトカクラブで開催した。9時過ぎ帰ってきて、キット君にアリーが出し巻き玉子の作り方を伝授。すぐにマスターしたようである。これからしょちゅう作ってもらおう。10時半頃就寝。

2月17日
私は最近市役所の資材置き場で作業しているが、そこは道路工事のおっさん連中の休憩所でもあるので、ティーを一緒に飲む。そして、フィジー語は分からないが、おっさんたちが品のない話をしているのはなんとなくわかる。野郎100%で、なんだか自衛隊時代を思い出す。
それにしても今日もペンキ塗り。黙々と作業していると、お前はネバーストップだなあと言われる。そういうお前はいつもストップしているね、と思ったがそれは言わないことにした。そして夕方、私たちが印刷した500枚を隣町のナンディに送るという話が突然出てきた。あれ、何で俺達隣町の分もやるわけ?と思ったが、末端現場作業員に意見はいらないのは自衛隊と同じなので、それ以上は考えず、目の前の作業に集中することにした。

ところで、今年のあの日は、日ごろの行動が悪かったせいで、0個だった。唯一の救いは海外から一通励ましのメールが届いたこと。日本に帰ったら、彼女にはサイン入り体臭付きTシャツをプレゼントしようと思う。

●過去を振り返って
あの日とはバレンタインのこと。

2月18日
今日もワイスとペンキ塗り。しかし今日からは型枠が一つしかないので、彼にペンキ塗りをやってもらい、私は塗ったシートを干しに行く係になった。本当は私がペンキ塗りをやった方が早いし、なにより仕上がりが綺麗なのだが、彼の仕事とプライドを奪ってはならないこと、私の活動指針として、やるのはフィジー人、自分はそれを手助けするだけ、と思っているので、自分でペンキ塗りはやらなかった。
彼は休憩時間がすごく長い。その間私が塗っていてもよかったのだが、それもやらなかった。おかげで今日は昨日の三分の一ぐらいしか出来なかった。来週以降もそうなるだろう。なので、当初私が考えていたスケジュールから大幅に遅れるはずだ。しかし、それでも特に問題はないのだ。この国では本当にこの日までにやらんとマズイというギリギリの状態にならないと本気を出さないのだ。やれば出来るけど、今日やらなくていいならやらない。それがフィジー流だ。

●過去を振り返って
フィジーで活動する極意を体得するまでに2年近くかかったことになるね(苦笑)。

2月19日
土曜日。フィジーでの休日も少なくなってきたので、計画的に過ごそうと思っていた。本来ならばナンディ・ラウトカ撮影ツアーに行こうかと思っていたが、あいにくの雨だったので中止。ただ、家から一歩も出ないのも健康に悪いので傘をさして歩いてタウンに行って買い物してきた。
後は部屋で記事を書いたり、株の研究をしていた。いよいよ日本株も上昇傾向が鮮明になってきたので、今年は勝負だろう。
今晩もアリーがいないので一人で酒盛り。最近ラム酒の牛乳割りにはまっているが、今日はスーパーでバニラエッセンスを買ってきたので、これと砂糖を加えると、ミルクシェイクみたいで実に美味い。しかも、すぐに酔っぱらえる。

2月20日
久々にラウトカ野菜クラブの活動を実施した。まずは雑草だらけだったので、これを引き抜いた。そして菜園に自生?していたパパイヤの若木を裏庭に移植した。自分がいる内に、絶対実は出来ないけど、将来ここに住む人はかならずや庭のパパイヤを食べることができるだろう。なんかそういう活動は好き。
また、赤くなったチリを採取して冷蔵庫で乾燥させた。一味唐辛子を作るつもりだ。このチリはとても辛いので日本で売っているのよりすごいのが出来るに違いない。
この日も天気が悪く、一日中家にいた。結局、いつもと変わらない休日だった。
帰国まであと一カ月なのだが、緊張感がまるでない。帰国準備も最終報告書も最終発表の準備もなにもやってない。明日からまたペンキ塗りの日々が続くが、こんな日常が終わりなくずっと続くんじゃないかと思ってしまう。直射日光浴び過ぎて脳細胞の一部が死んでいるのかもしれない。

2月21日
私の協力隊員としての活動も実質2週間になった。そろそろ最終報告書と最終発表の準備をすることにした。最終報告書は3時間ほどで9割方出来てしまった。最終発表のプレゼン資料については、ちょっとひと手間かけようと、色々考えていた。単にこれまでやった活動を振り返るのではなく、なんで私がフィジーに来たか、から始まる山あり谷ありストーリに出来ないかと思った。しかし、私がフィジーに来た理由は高邁なボランティア精神に突き動かされて、とかではなく、単に南の島に来たかったという程度なので、そこから肩の力の抜けまくった物語になってしまう。さて、どうしたものか。
ところで、昨日裏庭に移植したパパイヤは早くも萎れていた…。いくら願おうとも、未来は必ずしも明るいものではないということを教えてくれた。

2月22日
午前中に作業場に行ってペンキ塗りをしようと思ったが、資材置き場の鍵がかかっていて、しかも誰かが鍵を持っていってしまっていた。しょうがないので一人でいすに座ってずっと待っていた。何もせず、のんびりと、たまに訪れる人と軽い会話を交わしたりしながら一時間ぐらいそこにいた。時間の無駄といえばそうなのだが、もうそういう事は気にしない。これも急ぎの用事ではないし、何もせず風に吹かれているだけで問題はないのだ。そして結局何もせずにオフィスに帰った。
酒買って帰って、今日もアリーと酒盛り。彼は連日二日酔い状態みたいだ。

2月23日
kaeru
一日中コンポストの報告書を書いていた。
昼前に、やや興奮した市民が苦情にやってきて、店で売られている砂糖に死んだカエルが入っていたとのこと。なんでそんなことが起きるのか分からないが、かなり適当な生産管理が行われているに違いない。砂糖産業はこの国を支えるもっとも重要な産業なのに、これではやっぱり駄目だと思う。いくらおおらかなフィジー人でも、カエル入り砂糖は許せなかったらしく、このおじさんは、なお怒りが収まらず、この後新聞記者を呼んで、写真を撮ってもらっていた。
家に帰ると、すでにアリーは酔っぱらっていた。夜から二人で飲んだが、今日は珍しく彼の方が先につぶれた。

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