超緊張!職場へ赴任

4月14日

LCC
赴任先のラウトカ市役所

今日から真の戦いが始まる。日本からフィジーへ出発する時は意外なほど冷静だったのに対して、昨日は気持ちが高ぶってあまり寝れなかった。本能がこの状況の深刻さを感じ取っているに違いない。しかし、この感覚を確かめるため、会社を辞めてここまで来たのかもしれない。

3時半に起きて、5時にタクシーでドミトリーを出発した。早朝だったが、3人の仲間が見送ってくれた。力強く手を振って、再会を誓った。最初の関門が飛行機の荷物である。大きさ、重量ともに既定のサイズを超過している。何とか交渉してやり過ごさなければならない。結局5kg超過で、スーツケースをチェックインのフロントの前で開けて、手荷物の方に移し替えるという結果になった。さらに追加料金も払った。情けなかったが、飛行機には乗れた。

空港までホームステイ先のパパに迎えに来てもらって、一旦家に荷物を置いてから、職場である市役所に向かった。はじめに市役所の各セクションを回って、挨拶をした。その後は自分の席で、資料を読んでいた。当分資料に目を通す日が続きそうである。横目で職場の人の働きっぷりを見ていたが…。それはもう少し観察してから記録する。

仕事は4時半で終わりである。家に帰るとホームステイ先の息子と初めて会った。名前はモシン。ティーンエイジャーである。彼は腕白というか、ムスリムなのに…、いいんですか?。しかし、とてもナイスガイで私のことを本当に気遣ってくれてとても感謝している。この日の夕食はバーベキューで一家の家族友人が続々家を訪れた。私もそれぞれ挨拶をしたが、数が多すぎて名前を覚えきれなかった。8時過ぎから少しカバを飲んだが、パパと私以外はあまり好きではないらしく、私がカバが好きだというと、意外そうな顔をしていた。宴は続いていたが、私は明日に備えるため、9時ぐらいに部屋に戻って、勉強をしている。

今日は本当にたくさんのことがあった。ここには書ききれないぐらいだが、わかったことが2つある。ひとつは言葉が話せなくとも何とか生きていけるということ。もう一つは言葉が話せないと、楽しくないということである。本当に私は英語をマスターしたいと思った。さらにヒンディーをもできた方がいい。やはり現地語は歓迎される。私も簡単な単語を口にするだけで、周囲は大喜びだった。

全体的に良いスタートを切れたと思う。私は周囲に恵まれている。

●過去を振り返って
緊張して寝れない、なんて大人になってから無かった気がする。貴重な体験、今となってはいい思い出である。
今ならどうかな、緊張はしても、寝れないなんてことはないと思う。そして職場でもホームステイ先でももう少し器用に振る舞えると思う。それはこの先の困難を経験したから。

前にも説明したが、カバ(ヤンゴナ・グロッグともいう)は木の根っ子を砕いて、水で濾過した飲み物で、飲むとホワーっとする。フィジーに限らず、バヌアツなど南太平洋で広く飲まれている。しかし、日本では販売禁止である。
カバは単なる嗜好品を超えて、客をもてなしたり、親睦を深めるために飲むことが多い。飲み方の作法もあって、フィジーの重要な文化と言える。

なお、結局俺はヒンディー語どころか、英語もろくに話せないまま帰国することとなった…。

4月15日
朝起きて水シャワー。かなり冷たいが眼はさめる。ミルクティーとケーキっぽい物を食べて、7時半にダディーと一緒に出勤。今日も一日中資料を読んでいた。勤務時間が8時半から4時半なので、特に疲れない。ただ、職場でカバを飲むので少し眠たくなるときはある。

帰宅してマイブラザーのモシンと英会話の練習をする。彼は本当に我慢強く私に付き合ってくれる。また、率直に自分のことを話してくれるのでとてもありがたい。夕食はチャーハンだった。ベリーグッド。その後はテレビでリスニングの練習。まだほとんど理解できない。10時ぐらいからムスリムのDVDを家族で見ることになった。これは寝てはいけないと思ったが、私の意思は弱すぎた。ゴートゥーベッドでこの日は終わった。

文章にすると短いがこの日もたくさんのことがあって、私の中でそれを消化できていない。それほど忙しくはないはずなのだが、体は疲れている。みな本当に親切な方々なのだが、言葉がうまく通じないのはかなりストレスになっている。

●過去を振り返って
言葉が通じず、かなりストレスが溜まっていたが、今思えば、周囲の人はそれほど気にしてはいなかったと思う。あまり悩まずもっと適当にやってればよかったかもしれない。

4月16日
今日は朝から隣のナンディー町にJICAプロジェクトの会議に行った。議題はほとんどなくて、新しい日本のボランティアである私とナンディー町役場に赴任した吉川さんの紹介がメインであった。会議はすぐに終わったが、会議終了後、同行していた職員が街に買い物に行ったため、その後1時間ぐらい役場に滞在した。

その間は吉川さんと情報交換をしていた。昼ぐらいにラウトカに戻った。昼飯を食べて、2時に仕事開始。4時半終了。あっという間。家に帰ると、疲れがたまってるのか、かなり眠たくなったので晩飯まで睡眠。晩飯後はモシンと散歩。住宅街なのだが、いたるところで若者がたむろしている。しかしそのほとんどが彼の友達なので安全である。彼の兄弟だと自己紹介しているので今後も大丈夫であろう。

戻ってきてTVで英語のリスニングの練習。しばらくして、JICAのレポートを書かなくてはいけないといって、部屋でブログを書いている。

少しずつ、生活に慣れ始めている。

●過去を振り返って
徐々にフィジーのゆるさに気が付き始める頃である。たぶん皆俺のことなんか気にしてなかったと思う。
しかし、俺は常に自分がヤバイと思っていたので、必死に英語の勉強をしていた。

4月17日
昨晩は早く寝たので、今朝は調子が良かった。オフィスで少し資料を読んだあと、ことわって、街に散歩に出かけた。今日はそれほど暑くもなく、快適だった。
市役所は海の近くにあるので、まずは海岸線に向かったが、あまりきれいでなかったのですぐに市街地に戻った。途中にインターネットカフェでメールチェックをした。しかしスピードが非常に遅かった。なんど毎秒600バイト。日本の1000分の1ぐらいの速度である。しかし今日はつながるだけましである。昨日と一昨日は全くつながらなかった。政府がストップさせていたらしい。

ここ数日のフィジーの政情は不安定である。またフィジーの通貨が20パーセントも切り下げられた。個人的には外貨で金もらっているのでありがたいが、フィジーの人からすると生活に影響があるわけなので、はやく安定的な政府ができればよいと私も思っている。

話がそれたが、その後はオフィスに帰って、再び資料に集中していた。ムスリムは金曜日は昼間に大きなお祈りがあるので、パパがモスクから帰ってくるのを待って昼食。
午後も資料を読んで、今日は金曜日なので4時に課業終了で帰宅。
オフィスでは、眠たかったが、家に帰ると調子が出てきて、テレビでリスニングの訓練。職場はほとんどヒンディーなので英語の訓練にならないため、家庭でのテレビの時間は非常に貴重であるので私も集中して聞いている。

その後は、モシンと会話をした。3日で英語がだいぶ改善したとほめてくれた。しかしまだ会話の半分も理解できてないし、表現もできないのでいつも悔しく、情けない思いをしている。しかしその思いが自分を勉強に書き立ててくれる。危機感がないとなかなか人は本気で勉強しないものだから、今の環境は精神的にきつくても、語学習得には非常に良い環境だと思う。

最近よく使う言葉
enough
a little bit
my stomach is very small(もっと食えと言われたとき)
I’m fine(実際はfineのときは少ないのだが)
off course
that’s sounds good
thank you

●過去を振り返って
この時期は仕事もなく暇なのだが、慣れてないので精神的につらかった。また、ホームステイなので家でもくつろげなかった。
酒が飲めないのもつらかった…。

4月18日
今日は土曜日なので仕事は休み。朝からFiji times をずーっと読んでいた。新聞は現地の情報収集と英語の勉強の両方になるので私は好んでいる。本当に一日中読んでいたのでファミリーからはびっくりされた。晩はテレビでリスニングの訓練。今日は一日中家にいた。モシンからは「お前unhappyなんじゃないか」と言われたが、それは強く否定した。赴任してから張り詰めすぎているかもしれないが、意味のある戦いができて、私は今とても幸せである。

○TVについて
家は金持ちなのでTVが16チャンネルも映る。その中でフィジーの番組は1局(しかもほとんどオーストラリアの番組を流している)しかなく、あとは外国の番組である。その中にはNHKワールドも含まれている。私は勉強のため、NHKやCNNといったニュース番組を好んで見ている。しかし、他のファミリーメンバーからすると、あまりそれは面白くないようなので気を遣う。だから、しばらく見たら、テラスで新聞を読みに行ったりする。暫くすると中からマムの好きなヒンディーのTVドラマが聞こえてくる。ホームステイもなかなかに難しい。

●過去を振り返って
この頃は悲壮感が表情に出ていたのだろう。周囲の人からよく心配されていた。

4月19日
今日もほとんど一日中家にいた。ひたすら勉強していた。英語が本当に話せない。聞き取れない。情けない。「情けない」のぴったりくる英語表現がないので、この気持ちをフィジー人に伝えられない。また、この日はヒンディーの勉強もした。こちらは必須ではなく、できたら楽しいな、という程度なので気楽である。しかし今日も疲れた。昼寝しても疲れがとれない。

○食事について
本当にフィジー人はよく食べる。しかも料理は脂っこくて、甘さがきつい。すごいカロリーを取っているはずだ。不味くはないのだが、健康にはよくなさそうである。そして、日本でもそうだが、客人には食べ物を勧める習慣があるようなので、私にも大量の食べ物が出されそうになる。気持は大変ありがたいのだが、私の胃袋はおそらく彼らの半分ぐらいなので、いつも私の胃は小さいとか、ジェスチャー付きで、もうおなかいっぱいです、とかいって遠慮している。それでも礼儀として食べなくてはならない時もあるので、胃もたれはしょっちゅうである。今はフィジーの文化を知る意味で食事はファミリーととることに意味を見出しているが、やはり健康のためには自炊が一番だと思われる。

4月20日
今日はオフィスでは今後の仕事について職員と話し合うためのドラフトを書いていた。今の語学力では準備なしに議論はできないからだ。昼前に職場を抜け出して郵便局とインターネットプレイスにいった。午後からはJICAの生活費調査員が訪ねてきたが、こちらはまだラウトカに来てから1週間しか経ってないので大した話はできなかった。

○職場について
仕事時間は8時30分から4時30分まで。1時から2時までは昼休みである。10時ぐらいにはお茶と、時々スナックがでる。雰囲気ははっきりいって、かなりのんびりしている。勤務時間中でも、雑談したり、新聞読んだり、外をうろついたり、ネット見たりしている。さぼっているわけではなく、単に仕事の量がすくないのではないかと思われる。しかしそれで問題なくラウトカ市政が回っているならそれでよいと思う。私はこの雰囲気が好きである。日本みたいに細かいところにこだわって、どんどん仕事を増やすようなところがない。あれは本当に嫌だった。市役所職員の給料は少ないらしいが、これで生きていけるなら、とてもよい職場だと思う。私は現在のところ何の仕事もしていないが、何のプレッシャーも受けていない。だがら好きに資料読んだり、英語の勉強をしたりしている。そして、4時半になったら、すぐにパパと帰宅する。残業とかありえない。アイラブフィジー。

●過去を振り返って
日本はかなり無理して働いて経済大国となっているけど、フィジーみたいに仕事はそこそこでプライベートを重視する国もいいと思う。少なくとも、個人でそういう生き方が選べるような国であってほしい。

4月21日
今朝の光景。マム「今日は朝は何も食べないのか?」自分「今日はお茶だけでいいです」マム「これを食え(ビスケットとジャムをテーブルに置く)自分「サンキュウ…(泣)」

10時のおやつの時間。パパ「全部食べろ(大量のインデアンスナック)」自分「では少しだけ…」その後だれも食べない→結局全部私が食べることに…。インデアンスナックは味は結構好きなのだが、油で揚げてあるのでかなりカロリーが高く、腹が膨れる。

今日も仕事時間ははあっという間に過ぎ去った。帰宅してケーキを食べた。というのも今日はパパの誕生日だからだ。マム「ケーキうまいか?」自分「(超甘いっす)おいしいです…」マム「じゃあもっと食え」自分「はい…(泣)」食べ物に関しては毎日この調子である。言うまでもなく昼飯も晩飯も、もっと食え食え攻撃を受けている。成人病一直線である。

ところで、今日は仕事場に先輩隊員のNさんが訪ねてきてくれた。私は今ホームステイをしているが、Nさんが3ヶ月後に帰国したのち、Nさんの住居に移り住む予定である。それはさておき、Nさんには今後様々なことで協力してくれると申し出ていただいたので、早速お言葉に甘えて、金曜日にお宅にうかがうことになった。

夕方はマムとモシンの前で自慢のウクレレと歌を披露した。まずは英語バージョンの四季の歌を披露したが。大爆笑された。私の英語の発音があまりのへたくそだったかららしい。少しへこんだが、気を取り直して、次にJポップを歌ったがなぜか再び大爆笑。モシンは床に転がって笑い転げていた。理由ははっきり分からないが、多分普段淡々としている私がいきなり大声で、しかも曲への思い入れたっぷりの表情で歌いだしたのが衝撃だったのではないか。私は深く傷つき、逃げるように部屋に戻った。

○蚊について
ここは蚊が多い。多いといっても日本の夏と同程度だと思うが、毎日数か所かまれている。こちらの蚊は刺されたらかゆいが、翌日にはおおむね腫れも引いて治っている。だから他にも忙しい毎日なので積極的に対策は取っていないが、蚊のせいで一日の活力の5パーセントぐらいを消耗しているかもしれない。

●過去を振り返って
しかし、インデアンスナックは基本的に美味しいと思う。
英語の歌は二度と歌わん!

4月22日
午前中にマーケットにごみに関する啓発活動に行った。といっても私はその場にいただけであったが。マーケットの関係者10数名に集まってもらって、ごみの削減について職員が説明を実施した。参加者はその重要性については認識しているようであった。しかしその後の質疑では市役所のゴミ収集サービスについての苦情・陳情ばかりであった。
これらは英語であったが、私が理解できたのは半分程度であり、ようやく話の流れを把握することができたぐらいであった。いずれ私がこのたぐいの啓発活動を担うことになるのだが、やはり今の語学力では到底不可能である。とはいってもこの一週間で幾分聞き取り能力は向上している。進歩が少しでも見えるなら、明日は今日より悪くなることはありえないと信じて前に進むしかない。

ところで今日はパパの調子が良くない。寝るときの扇風機が強すぎで風邪を引いたらしい。しかし、彼は終業後いつもどおりタクシー運転手として街に向かうのであった。本当に働き者である。前にきいたことがある。なぜそんなに激しく働くのかを。彼曰く市役所の給料だけでは家のローンや生活費を賄えないからだと。つまり彼が頑張るのは家族のためであり、家族愛がそうさせているのであった。また、タクシーのオーナーに週150ドル払わないといけないのでおちおち休めないらしい。そしてさらに彼は息子のためにパソコンを買おうとしいている。たぶん一か月の収入以上するであろう。ユーアーグレイト。

○家族について
ここの家族は本当に結びつきが強い。日本だと一人一室でテレビも一台づつという環境で、同じ家にいても各自違うことをやっていることも多いが、ここでは自分の部屋に閉じこもるということはありえないようだ。私もなるべくリビングにいて家族と顔をあわせるように心がけているが、一人になりたいときもあって、こっそり部屋に戻ったりするときもあるの。しかし、ほどなくして、呼び戻されることが多い。そして字幕なしのヒンディー語の映画とかを見せられたりするのであった。

●過去を振り返って
家族の結びつきが強いことは麗しいことだが、自由人の俺には少々窮屈だった。気にかけてくれるのはありがたいが、もっと自由にさせてくれたら嬉しかった。というのも、虫がよすぎるか。

4月23日
午前中はJICAプロジェクトの会議があった。会議といっても議題はほとんどなく、15分ぐらいで終わったが、午前中の職員の仕事はそれだけのようだった。あとはだべってた。

午後は少し報告書読んだあと散歩してたら4時半になったので帰った。家ではテレビ見てウクレレの練習して、カレー食べて、いつもどおり過ごした。→この日は9時半に就寝。大したことなどしていないはずだが、疲れがたまっているようだ。

○星
星はよく見える。フィジーでもオリオン座が見える。ただし、横向きである。

4月24日:1か月目
今日も一日中資料を読んでいた。そろそろ飽きてきたので来週あたりからぼちぼち仕事を始めようと思う。ところで今日はフィジーに来てからちょうど1か月目に当たる。まだ準備期間のつもりで何もできていない。それは予定通りなので別に焦ったりはしていないが、そろそろ何かしたいと思っている。

また、フィジーに慣れたかというと、まだ慣れないことも多い。言葉があまり通じない。食べ物も厳しいときもある。寝ても疲れが取れないなど、苦労も多い。そして娯楽がほとんどない。テレビ見るのも、食べるのも、会話するのも全て勉強である。むろん遊びに来たわけではないが、かと言ってこの状態が持続可能であるのも思えない。何か見つかればよいのだが。

さて、課業後は、ラウトカ―ナンディー地区の先輩隊員の方々が歓迎会を開いてくださるということで、NさんKさんの家にお邪魔した。6月にNさんが帰国した後、私がそこに移り住む予定であるのだが、ボランティアでこんなところに住んでいいのかと思うぐらい広い家で驚いた。歓迎会の前に軽く酒を飲んだ。10日ぶりだったので感動的にうまかった。

しばらくして、他の隊員も料理を持ってやってきて、ナンディーの同期のYさんもやってきて、みんなで食べた。御馳走ばかりで、刺身もあって感激した。12時過ぎまで飲んでて、この日はここに泊まらせてもらった。

4月25日
今日は土曜日。今朝は先輩隊員の家で起床。ぐっすり寝て疲れを取りたいところだが、いつもどおり7時目が覚めてしまう。11時ぐらいにお礼を言って、お宅を離れた。歩いてタウンまでいって、少し買い物等の用事をすましてタクシーで我が家に帰った。家に帰るとママが昨日はアイミスユーだったよと言ったので、「ミッ、ミートゥー」と、どもりながら返答した。友達の家はどうだった?そこに住みたいんじゃないの?とか聞かれたけれども、高級住宅地にあって、我が家の2倍ぐらいの広さがあって、2か月後にそこに移動する予定なんだよ、とは言えなかった。ヒズハウスイズグッドと簡単に言っておいた。それからは新聞を読んで、テレビ見て昼寝して過ごした。

○フィジーでよくされる質問①
日本が恋しいか?家族が恋しいか?友達は、母親は…。
それらの問いに対してははっきりNOと答えている。皆、エー、という反応をする。ここの人たちは結びつきが強いから、理解できないのもしょうがない。そもそも私がそんな感情的な人間ならば、はじめからフィジーに来たりはしない、また、家族等についても二度と会えないわけではなく、2年後会えるのだからさびしくはない、と答えると、フーン、という感じになる。今のところ日本に帰りたいとは全く思わない。現在がハッピーだからではない。日本に帰った時の方が状況が厳しいからだ。また、日本の人たちにもその気になれば電話でもネットでもコンタクトはとれるので別段自分が遠いところに来たという実感も薄い。

●過去を振り返って
正直、ホームステイより隊員の家の方がはるかに居心地がよかった。俺はホームステイに向いてない。でもいい勉強をさせてもらった。

4月26日
今日は一日中家にいた。家族とテレビを見て、飯食って、茶飲んで一日が終わった。今日もいっぱい食べた。お前太ってきたよとママに言われてショックを受けた。しかしなんだかんだで家族にはよくしてもらっている。代わりに皆の喜ぶような話でもできればよいのだが、私はもともと寡黙で、しかも英語もうまくないものだから、ここではさらに無口かもしれない。しかしこのような日本人を受け入れてくれて感謝している。

○フィジーでよくされる質問②
お前結婚しているのか?もちろんシングルであるのでそう答えると、日本にガールフレンドはいるのか?ここで見つけろよ、そしてフィジーに永住すればいい、なんてことをよく言われる。しかし今はそんな余裕はまったくない。しかしインド映画をずっと見ていると、インド人もいいかなと思えてくる。洗脳されてきたか。

4月27日
今日はボーダフォンに無線インターネットの申込みに行った。しかし私の住んでいるところがサービスエリア内にあるのかどうか店員にもはっきり分からないということで調査するということで、この日は帰った。

そのあと携帯ラジオを買いに行った。リスニング力を鍛えるためにラジオを聞こうと考えたからだ。この日から仕事である環境教育の教材作りを始めようと思い、職員と話し合おうと考えていたが、みんな忙しそうだったので今日はやめにした。家に帰ると今日もいっぱい食べさせられた。今日は少し食べ過ぎて胃が痛くなった。9時ぐらいに眠たくなったのでラジオ聴きつつ寝た。

ところで、今日は車の中でパパから色々言われた。部分的にしか聞き取れなかったが、その場は適当にうなずいて一晩その内容を類推した。翌朝、答えを確認すると正解だった(アンダーウエアは自分で洗剤買って洗え)。毎日こんな感じで綱渡りである。しかし語学力はさておき、勘は磨かれてきている。最後には言葉なしで、相手の考えていることがわかればよいのだが。

○フィジーでよくされる質問③
お前いくつ?30歳です。エー、となる。どうも私は20歳ぐらいに見えるらしい。うれしいような悲しいような。しかし、日本に帰る頃には気苦労で浦島太郎みたいになっているに違いない。

●過去を振り返って
赴任して2週間ほどだったが、大きなトラブルはなく平穏な日々が続いている。
この頃は職場よりも、ホームステイのほうが気苦労が多かった。とはいえ、それなりに上手くやっていたと思う。
しかし、最後は嫌な別れ方をしたのを後悔している。

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