任地赴任前準備 嵐の前の静けさ

lautokacity

今日のミッションは、ラウトカ市にある職場に出向いて挨拶して、赴任日を決定し、当面の住居を確保すること。
早朝から調整員の方に連れられて、スバから飛行機でナンディー空港に向かった。なお、ドミトリー出発の時間がぎりぎりだったので、タクシーが時速100kmで爆走して行って、身の危険を感じた。

飛行機で30分、ナンディー空港から北へ車で40分でラウトカ市に到着した。
ラウトカ市は人口約5万人のフィジー第二の都市で工業が盛んである。特にサトウキビの栽培、加工が有名である。私はこの街の市役所の保健課に勤めることになっている。

職場へのあいさつはまさに協力隊活動の本番の第一歩であり、少し心が高ぶる。はじめに課長の所に行ったが、言っていることの2割ぐらいしか理解できなかった。しかし、課長はJICAの研修で日本に来たことがあるそうで、私の受け入れに協力的なようであった。なお、その場には私の他に調整員と、ナンディー町役場で同様の業務に従事する同期が同席している。
その後、保健課の職員と顔合わせ。全員に会ったわけではないが、彼らのほとんどが同様にJICA研修で来日経験があった。ということで、彼らはかなり親日的であった。

また、住居に関して、最終的には他の協力隊員と同居することになるのだが、そこまでのつなぎとして、3ヶ月間ホームステイすることになった。突然決まってびっくりしたが、保健課のBeggさんが私を受け入れてくれることになった。インド系ムスリムでとても温和な人であった。家も見に行ったが奥さんも人の好さそうな方で私のことはamma(お母さん)と呼べといってくれた。住居は広くはないものの、家電等の設備は完備で、シャープの液晶テレビやプレーステーションもあった。

難点は彼がムスリムなので家で酒が飲めないこと。これはきついが、代わりにカバ飲んで3か月やり過ごそうと思う。
iefiji

最後は調整員と別れて、一人で保健課に残って、職員と話をした。みんなDon’t worryといってくれた。しかし、皆さんお仕事中なので、長居することなく退散した。
引っ越しおよび仕事始めはは14日。当面の私の仕事はフィジーの文化と社会と言語を学ぶこと。その後、学校等を巡回して、ゴミ問題に関する啓発活動を行う。
みな理解のある人でよかった。私はついてる。

さて、市役所を去ったあと、ラウトカ市の市街地をうろうろして、バスでナンディーに向かった。しかし、ラウトカ・ナンディーは暑すぎる。日本の真夏並みに暑い。昼過ぎになると、街歩きも限界でネットカフェに逃げ込んだ。

その後もいろいろと時間を潰して、30分程度遅れた飛行機に乗ってスバに戻った。ドミには10時頃到着した。
今後禁酒生活が始まるので、日本から持ってきた、とっておきのウイスキーを飲んで寝た。

4月9日
今日から13日まで休みなのだが、フィジーでは10日から13日まで誕生祭のため、店も閉まるので、9日の内に買い物は済ませておかなければならない。銀行の新しいカード受取ったあと、一応2万円フィジードルに両替して、仕事で着れるような服を買いに行った。ブラシャツでよいかと思っていたが、市役所なので、それなりにフォーマルな格好が必要となるためである。ズボンはともかく、ワイシャツは日本で売っている物の方が断然質が良いと思われたので送ってもらうことにしよう。

その後ろくに英語も話せないのに一人でインターネットの申込にいったが、ラウトカはエリア外ということで断られた。これに関しては後日ラウトカで頑張るとする。次にナンディーまでの飛行機のチケット取りに行った。向こうの言っていることの半分も理解できなかったが、適当に返事して、金払ったら買えた。今日の仕事はこれで終わりで、あとはJICA事務所で書類を読みつつ休憩したあとドミに帰った。
晩飯には肉じゃがと、日本から持ってきたインスタントみそ汁と大人のふりかけを提供してみんなで食べた。好評だった。

4月10日
今日は特に予定がない。朝から新生活に向けて英語で想定問答集を作成していた。昼飯はマックで、チーズバーガーセットが6ドル(360円)だった。味は日本と変わらず。
午後からもゆっくり過ごした。夕方からウイスキーを飲んでいる。嵐の前の静けさ的な一日だった。

4月11日
朝6時起床後、来る14日のデビューに向けて想定問答集を執筆する。昼間は一人で街をぶらぶらして、帰ってきてからまた、続きをする。
夕方から先輩隊員につれられて、バーへいった。海のそばの、洒落た場所にあるが、夕方半額のハッピータイムでリーズナブルだった。天気が悪く、夕日が見えなかったが、スバに来た時はまた来たい。
帰宅後再び飲酒。いつ寝たか覚えていない。

4月12日
昼からJICA職員の家に、廃棄物関係の同期と共に招待された。非常にグレードの高いマンションで、別世界に感じた。奥さんが作る料理のすべてがおいしかった。日本食もあった感動した。ワインもガバガバ飲みつつ、現地の、ためになるお話を聞かせていただいた。

しかし調子に乗りすぎて、暴飲暴食したので体調が急激に悪くなった。しかしそこは我慢して、お開きのあとは同席していたシニアボランティアの家を訪問した。ここも「違う」かった。その後は街で少し買い物をしてドミに帰った。帰宅後は夕食の準備を手伝ったが、私自身は夕飯は食べられる状態になく、スープ一杯飲んで、8時前には就寝した。

しかしこの日はこれで終わらない。さすがに早く寝すぎて12時頃目が覚めると、先輩隊員がドミに来ていて、その中にラウトカ隊員もいたため、酒をついで御挨拶した。日本から持ってきたサントリー15年物のウイスキーがその本来の意味を果たした。そしてそのあとワインをひとしきり飲んだらまた眠たくなったので1時過ぎぐらいに再びベッドへ。
→翌朝二日連続二日酔い。30になると人は学習しなくなるのか。

4月13日
昼前に地方に赴任する同期隊員の見送りに行った。彼女はナンディーという町、バスで5時間ぐらいのところに赴任する。一抹の寂しさはあるが、彼女なら大丈夫だろう。だから笑顔でお別れできた。明日は私の番だ。ナンディーからさらに1時間ぐらい先に行ったラウトカという街に赴任する。そして朝5時にここを出るから、見送りもない。私の場合大丈夫でない可能性が高く、涙でお別れになったはずなので、一人で出発するのは都合がよい。

ドミに帰ってから荷造りを始める。いろいろ服を買ったので荷物が増えた。しかしなんとかスーツケースに詰め込んで荷造りほぼ完了。タクシー会社に5時30分に来てくれるよう依頼したが、「30分」というのがどうしても通じず、20回ぐらい言って、途中でオペレーターが代わったのだが、結局無理で5時になってしまった。その後ホームステイ先のパパにナンディー空港まで迎えに来てくれるように依頼した。こちらはスムーズに行った。しかし英語の電話は難しい。

それにしてもいよいよ明日から真の戦いが始まるのかと思うとさすがに気分が高揚する。近年こういうことはなかったが、まだまだ私も若いということなのか。英語もできず、廃棄物の専門家でもなく、また、家では酒も飲めず、こんなんで果たして生きていけるのだろうか。無謀な実験というほかはない。それを許してくれたJICAよ、ありがとう。

●過去を振り返って
酒ばっかり飲んでいるのは不安だから。
何にせよ、次の日からから嵐の中に飛び込むことになる。

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