フィジーの村にホームステイ

4月4日~6日:フィジアンビレッジホームステイ(於Serua island)

seruamura
生のフィジアン文化を体験するためにフィジアンビレッジにホームステイした。場所はスバからバスで東へ90分ぐらいした場所からさらにボートで3分ぐらいしたところにある離島のセルア島である。全長数百m、幅数十m程度である。人口は諸説あったが200人ぐらいだそうな。とはいえ島の外に仕事や学校にいったり返ってきたりするので正確なところは不明。しかし小さな村なので、おそらく村人全員が顔見知りで、ほとんど親戚関係にあるのではないかと思う。小さな村ではあるが、電気も水道もあり、テレビ・携帯電話も使用できる近代文明圏内の村である。

村の産業はおそらく漁業のみで、私のホストファーザーも漁師であった。彼の名前はトム(ニックネーム)、49歳である。温和で寡黙なお父さんである。この村のヘッドと言っていたのが、村の若頭ぐらいの人なのだろうか。奥さんはメレ、40歳の陽気なおばちゃんである。彼らの家は客人の部屋がないせいか、私は彼の兄の家に泊まることになった。3部屋あって、外にキッチンと便所があった。その部屋の内の一つをあてがわれた。
serua heya
村の産業はおそらく漁業のみで、私のホストファーザーも漁師であった。彼の名前はトム(ニックネーム)、49歳である。温和で寡黙なお父さんである。この村のヘッドと言っていたのが、村の若頭ぐらいの人なのだろうか。奥さんはメレ、40歳の陽気なおばちゃんである。彼らの家は客人の部屋がないせいか、私は彼の兄の家に泊まることになった。3部屋あって、外にキッチンと便所があった。その部屋の内の一つをあてがわれた。

さて、村に着いたらまっさきに、村長のところに挨拶をしに行った。村人が集まる中、カバの儀式で歓迎を受けた。その後みんなで昼食をいただいた。魚メインの料理でかなり美味であった。あとはタロイモとキャッサバとブレッドフルーツがでた。ブレッドフルーツとは木の実なのだが、さつまいものような味がした。初めて食べたがなかなかいけた。
昼食後はみなそれぞれの家にわかれていった。私はまず、海で泳ぐことにした。一見きれいそうな海なのだが、岸の近くのそこにはゴミが沈んでいる。少し岸から離れるとゴミはなくなるが、褐色の海藻が茂っていて、見た目はあまり良くなかった。しかし海は穏やかで、浅かったので泳ぐにはよかった。その後、トムの本宅でラグビーの試合を4時間ぐらいみていた。夕飯はインスタントラーメンであった。理由はよくわからないが、麺を粉々にして、ベビースター状態にして調理してくれた。コーンビーフ入りだったので、御馳走だったのだろうが…。

夕食後はカバを飲んだ。私の家にはトム、彼の兄、JOCVの案内人のタマタとあともう一人年配の男が集まった。みな私よりかなり年上だったので、あまりいごごちが良くなかった。
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カバの後、11時ぐらいに就寝した。この日は初日だったのでいろいろ新鮮な体験をして充実した一日だった。そんな感想を抱きながら眠りについたが、深夜にこの日の出来事がすべて些細な出来事と思える体験をした。
私の部屋はベッドが3つあって、一つに私が寝て、もう一つにトムが寝ていた。深夜トムが突然起きだした音で目が覚めると、すぐに水の音がし始めた。薄目をあけると、何と彼はいきなり空きのベットの上に立ち小便をしていた。部屋の中で、ベッドの上に目がけて、しかも兄の家で立ち小便を普通するだろうか。私は衝撃のあまり指の一本も動かせなかった。翌朝あれは夢だったのではないかと思って、恐る恐るベッドの下をのぞいたが、やっぱり水がたまっていた…。フィジー人は万事大らかだと聞いていたが、これが許されるならこの国では殺人以外みなOKなのではないか?しかしこの一件で私の心は軽くなった。フィジアンを相手にするときは細かいことを気にしても意味がないことを教えてもらった。

さて2日目は日曜日なので教会に行った。正装のスル(巻きスカート)とワイシャツを貸してもらった。この日はただの礼拝の日ではなく、子供の日という特別な日であったので、教会で子供たちが歌を歌ったり、大人たちの前で話をしたりしていた。しかしこのようなエルサレムからはるか彼方の離島でもキリスト教が根付いているのは驚きであった。
昼から少し昼寝した後、海で泳いだが、足の裏にとげが刺さってしまい、とげ抜きもなく、難儀したのでトムに助けを求めた。彼は黙って姿を消すと、針のような尖った葉っぱを持ってきて、それでとげをとってくれた。こんなにも物静かで優しい彼なのに、なぜ部屋であのような暴挙にでるのか…。
その後は別の村人の家でラグビー見ながらカバを飲んだ。帰ってきて晩飯の後、歓迎の儀式を受けた場所でカバを飲んだ。11時ぐらいに戻って寝た。
3日目、目を覚ますとトムは昨晩自分が小便をした方のベッドで寝ていた。しかしそこで感慨に浸る間もなく帰る準備をしなくていはならなかった。朝食の後、お礼の言葉とJICAから受け取った100ドルを感謝のしるしとして渡した。
ところでこの村にはピースコーというアメリカのボランティアの女性が滞在していて、今朝見かけたので、挨拶しようと近寄った。国は違えど同じボランティアなので友好的な気持ちでいたのだが、彼女はなぜか引いていた。彼女は村落開発で観光の振興を目的としていたそうなのだが、深い話に入る前にいなくなってしまった。アメリカ人に勝った。
10時に村長のところに挨拶をしに行ったが、村長はなかなか現れす、10時30分ぐらいに村長抜きでカバの儀式が始まった。平日なのだが、会場には大人が大勢集まっていた。仕事そっちのけでお別れしに来てくれたのかいつもこんな感じなのかわからないが、ありがたい話である。結局村長は現れず、12時ぐらいでお開きになった。最後にメレさんがお土産にゴザをくれた。なおメレさんには昨日ブラシャツをスルももらって、それからスバに戻るまでずっと着ていた。トムが寡黙な分、彼女とはよく話した。フィジーも70語ぐらい教えてもらった。非常に世話になったことを感謝している。彼女もトムをまた来いと言ってくれて良かった。次はもっと語学を鍛えて戻ってきたい。

●過去を振り返って
田舎のフィジー人の生活を知ることが出来て有意義だったが、島には娯楽がないものだから、はっきり言って暇だった。
みないい人ばかりだったし、のんびりするにはいいのだけど、毎日退屈だった。
男たちは漁師のはずだが、あまり働いているような人は見かけなかった。あまりあくせく働かなくても生活できるのだろう。

それにしても、トムさんの小便事件には驚いた(笑)。

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