ダイビング・サイクロン

<概要>
これまでかなり仕事が忙しかったが、年の瀬もせまり、すこしのんびりしてきた。
まず、仕事を休んでダイビングのライセンスを取りに行った。
その後、サイクロンの襲撃があり、被害を被った。本当に怖かった。
あとは、年末モードでゆったりと仕事をしていた。

12月8日
今日から3日間でダイビングの免許を取りに行く。ラウトカから私と松下さん、スバから湯川さん、ナウソリから時田さんと慶佐さんの、計5人で行った。その分割安になる。場所はナンディーから30分ほど先に行った、海辺の村はずれにある、日本人インストラクターがいる、歩き方にも載っているところである。ラウトカからだと2時間ぐらいの所にある。本来は3日か4日かけて取る、ライセンスを今回は2日半で取るという忙しいスケジュールとなった。というのも、私以外は先生隊員なので現在は夏休みなのだが、私は普段の日なので、どうしても3日以上は休めなかったがらだ。
さて、まずはプールでの練習から始まった。講師は32歳の日本人男性のSさんで気さくなあんちゃんという印象。よい先生とよい生徒だったので、スムーズに講習を終えた。ただ、プールの水が汚かったのには参った。昼飯はぼったくり価格15ドルのチリチキンをみんなで文句を言いながら食べた。夕飯はスパゲッティーを自分たちで作った。一人4ドル程度だった。夜はわざわざ持って行ったウクレレを弾いたり、酒飲んで卓球したりして遊んで過ごした。

12月9日
2日目。朝から早速潜りに行った。人生初ダイビングは素晴らしかった。この日は裸眼で行ったが何とかハンドサイン等も視認できた。午後から講義眠かったが、分厚いテキストの要点だけをパッパとやったので頭には入った。この日の昼飯はインスタントラーメン。夜はナンディーまで行って一休(日本食レストラン)に行って、日本酒飲みまくって、起きたらベットの上で朝だった。

12月10日
3日目。今日も朝から潜りに行った。昨日よりも深くて透明度の高いスポットで、面白かった。今日はコンタクトをしていったのでよく見えた。ただ、魚は綺麗だったが、珊瑚が白かったのは少し残念だった。待ち時間はスノーケリングして遊んでた。午後から講義とテスト。5人全員が優秀な成績で合格した。これで晴れて新米ダイバーである。もう既に月末に潜りに行く計画を立てているので楽しみである。
終わってからは、私以外はスバに向かい、私は一人ラウトカに戻った。たまたまリターンタクシーでラウトカまで行けてので2.5ドルで帰れた。トータルの経費は2泊の宿代、講習代、食費、交通費、酒代等合計で750ドル(3万8000円)程度であった。日本で取るより安いだろう。特に交通費が近いので安くついた。
これでダイビングライセンスを取るというフィジーでの自分に対する課題の一つをクリアーした。意義深く思い出多い3日間だった。

●過去を振り返って
日本に帰ってきてからはダイビングに一回も行ってない。

12月11日
金曜日。休暇明け。仕事を休んで、席がなくなっていたらどうしようと思ったが、特に何もなかった。しかし、朝から重要なモニタリングに3時間ほど連れまわされたので、もし調子に乗って今日も休暇を取っていたら、月曜日はかなり居づらかっただろう。ところで、今日オフィスに来たら、クリスマスのデコレーションに飾られていた。日本もこれぐらいのしゃれっ気が欲しい所だ。
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今日のオフィス。ちなみに職員のほとんどがヒンズー教徒です。

12月12日
昨晩から首都スバ入り。明日の送別会のためにギターの調律と練習のため、ドミトリーの物置にこもって、一人練習していた。そして土曜日。19年度3次隊のお別れ会。開始前から練習。開始後も酒を飲まないで練習。そして本番。「旅立ちの日に」をボーカル、ウクレレ、オカリナ、ギターで演奏。しかし、指が疲れて、うまく弾けなかった…。直前に練習しなければならない状況に陥った時点で間違いだったのだ。次回リベンジしたい。夕方から、ジャイカ職員の田宮さんの所へ環境隊員がお呼ばれして、飲み食いさせてもらった。しかし途中で眠たくなったので一人で帰った。

12月13日
日曜日。今日も早起き。しばらくドミにある漫画を読んで、9時過ぎにドミを出て、超特急のミニバスに乗ったら1時前にラウトカに着いた。スバも天気が悪かったが、ラウトカも雨。緊急連絡網が回ってきて、フィジー全土にサイクロン警報が発令されたそうな。一週間ぐらい仕事休みにならんかな。

12月14日
月曜日。昨日、夏休み中の学校隊員の楽しそうな様子を見て、幾分やる気が失せていた。さらに今日は朝から雨が降っており、正直仕事に行きたくなかったが、持ち前のボランティア精神を奮い立たせて職場に向かった。
しかし1時間ぐらいで、サイクロン襲来のため帰宅することになった。帰って、今日は何して遊ぼうかなあ、とか思っていたが、すぐに事態は深刻になった。今回のサイクロンはカテゴリー1という最も弱いやつで、しかも私は日本でもいくつか台風を経験したが、いずれも大したことなく、正直舐めていた。
昼前ぐらいから、雨風がひどくなり、停電になった。外は横殴りの雨で、トタン屋根が風で飛ばされていた。私の大切なコンポスターの蓋も飛ばされて、2メートルあるフェンスを飛び越えて敷地の外へ行ってしまった。正直自然の猛威に恐怖を覚えた。家の中のカーテンが風で外れてしまったので、その修理をしている最中に、窓の隙間から大量の水が侵入して、それに気づいてからは急いで窓の隙間をふさいで、排水作業を2時間ぐらいしていた。こんな時一人暮らしは困る。
そんなこんなで今は峠は越えたが、停電なので日が暮れたら真っ暗である。その前に飯食って、歯を磨いて、シャワー浴びて、懐中電灯用意して、そして侵入者に備えて、空き瓶でトラップしかけておいた。今晩はかなり危険だと思われる。私が泥棒なら、人通りが皆無で、街灯がつかない今夜に仕掛ける。その反面、今日は疲れたし、パソコンのバッテリーも限りがあるので、早めに寝ようと思う。
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横殴りの雨。コンポスターの蓋が飛んで行った。

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部屋が水浸し

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新聞紙で窓の隙間をふさいだ。そもそも、このタイプの窓はまちがってないか。


12月15日
火曜日。台風一過で気持ちの良い青空が広がっていた。風も昨日の荒々しさが嘘のように優しく心地よい。しかし、通勤途中で昨日のサイクロンの爪痕をいたるところで見せつけられた。木々がボキボキに折れている。大木が根元から折れてたりして恐ろしい。職場についても3人しか来てない。

結局10時ころに家に帰った。買い物しようと思ったが、商店の半分以上が閉まっていた。昨日から停電が続いているからだろう。突然の休日、家に帰ってなにしようと思っていたが、電気もなく、水も出なくなっていたのでとりあえず昼寝。起きてからギターウクレレで歌うたって、あとは日が暮れるまでじっと暗くなりつつある外の風景を眺めていた。明日も停電が続くようなら、パソコンのバッテリーもなくなるし、非常に困ったことになる。冷凍庫の中の物は死んでるだろうな。開けるのが怖い。
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12月16日
今日も停電。仕事にならない。同僚たちは食品衛生(特に冷凍食品)の見回りで忙しそうである。午後からコンポストヤードに行く。思ったほどサイクロン被害がなくてほっとした。金曜は仕事休んで首都スバに行こうかと思う。パソコンのバッテリー残り30分。濡れた絨毯が腐ったエビみたいな臭いがして家が臭い。

●過去を振り返って
一番恐れていたのは強盗である。闇に紛れて襲撃されるとひとたまりもないからだ。一人暮らしなのでかなりビビっていた。

12月17日
今日はついに禁断の技を使ってしまった。「ジャイカ事務所に行く」とそれだけを言い残して(何しに行くとか説明しないで)、仕事場を後にして、首都スバに向かった。電気がないと仕事にならない。ここにいてもしょうがないと思ったからだ。夕方スバ着。やっぱり電気のある生活はいいなあと思った。

12月18日
逃亡生活2日目。今日はスバ市役所保健課に勤める上村さんを訪問した。彼女とは同じ環境教育隊員で、また勤務先も市役所の保健課ということで、今日はスバ対ラウトカの勝負の気持ちで臨んだ。しかし、いきなりスバ市役所の建物の立派さに驚いた。そして彼女の職場も広くて綺麗で、しかも上村さんには個室と個人のパソコンがあった。完全にラウトカの負けだった。それはともかく、その後は私が持ってきたコンポストのプレゼン資料で私の活動について説明した。ちなみに、市役所に行く前に、上村さんと中華を食べたのだが、これまたラウトカの中華よりおいしかった。くやしい。

12月19日
昨晩はF&S邸でお世話になった。朝方ドミトリーに戻ってひたすら漫画を読み続けた。昼飯はラーメンとカレーの両方を食べた。スバは飯がうまい。帰ってから、また漫画。晩飯は中華。帰ってきて酒飲んで、また漫画。スバは下手なリゾートより楽しいかもしれない。

12月20日
朝5時に目が覚めてしまって、7時ごろにドミを出て、ラウトカに帰った。電気は再開していた。冷蔵庫もオンになっていたが、中はやはり異臭がした。やはり全部捨てねばなるまい。しかし今週は予想外の一週間だった。週初めにサイクロンで一週間ぐらい休みにならないかなあと書いたが、ほどんど本当になってしまった。でももう懲りた。明日からまた真面目に仕事をしたい。

12月21日
月曜日。朝から冷蔵庫の腐った食品を廃棄して気が沈んだ。今日は一週間ぶりに真面目に仕事をした。でも、ヤンゴナ飲みすぎて気分が悪かった。ところで、今日は日本から荷物が届いた。前回はとんでもない税金取られて、卒倒しそうになったが、今日は終業時間前で、郵便局の人も忙しそうにしていたので、荷物チェックされずに2ドル40セントですんだ。もし中を開けられたら、40~50ドルは取られていただろう。最近は金欠なのでありがたかった。

12月22日
9月から始まった、マーケットゴミから堆肥を作る実験であるが、3か月たって、とりあえず一応ものが出来た。悪臭と蛆をまとった生ごみがこのようなそれっぽい肥料になるとは感慨深い。カウンターパートも喜んでいた。フィジーに来て9か月、事実上活動における初めての成果であり、私も嬉しい。今日は祝杯を挙げたいところであるが、金欠なので酒が買えないのがつらい…。
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野菜や果物から成るマーケットゴミ

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3か月乾燥させたり水加えたりかき混ぜたりするとこうなる

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ふるいがなかったので手作りしました

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ふるいにかけて完成。臭いも無く、色と言い、手触りと言い、肥料っぽい感じ。まだ分解されてない部分もあるが、さらに時間が経てば、分解されていくだろう。

●過去を振り返って
自分のやってきたことがはっきりとした形になったことは何より嬉しかった。

12月23日
昨日から会議で発表するプレゼン資料を一生懸命作っていたが、直前にファイルが壊れて御臨終。今年最後のプレゼンは結果だけを口頭で伝える非常にしょっぱい内容となった。フィジーに来て9カ月。今日も生きてます。

12月24日
今日はボスが退職する日なのでヤンゴナ10杯以上飲んだ。あしたからクリスマス休みなので皆やる気なし。ところで、今朝、日本から送ってもらったサッポロ一番醤油ラーメンを食べたが、超うまかった。麺の歯ごたえがこちらのヌードルとは違う。また、スープも味が深く、複雑である。やっぱり日本はすごいと思った。

●過去を振り返って
日本のインスタントラーメンは世界一旨い。これは事実。

12月25日
クリスマス。でも夏真っ盛り南半球。今日はマーシャルの同期隊員のnamiさんが訪ねてきてくれた。彼女は一週間前にフィジーに来て、色々回ったあと、最後に私の任地ラウトカに流れ着いた。
湯川さんとランバサの並田さんが彼女に同行していた。なお、私たち4人は駒ケ根で同じ英語クラスだった。まずは、市役所裏の海辺で佇むnamiさんをウクレレ弾きながら襲撃した。私は彼女が来ることを知らないことになっていて(実は知っていた)、彼女が驚かすつもりで来たので逆に驚いていた。また、普通に登場しなかったのもインパクトがあったようだ。その後すぐ私の家に移動。私は料理にかかった。朝から準備していたのでスムーズに行った。メニューはラウトカチキンとモザお浸しと新メニューココナッツパスタである。評判は上々であった。なお、料理をしている間、一言も頼んでないのに女性陣が家をかたづけてくれた。一応お礼言っときます。どうもでした。
さて、食事も終盤のころ、日本から送ってもらった大吟醸を投入した。彼女は日本酒好きなので喜んでくれたようだった。その後は触れ合ったり談笑したりしていたが、明日は早いので11時ぐらいに就寝した。

12月26日
早起きして、ご飯とみそ汁を作って皆の起床を待っていた。さらに、昨晩並田さんがプリンを作ってくれたのでデザート付の豪華朝食だった。7時に家をでて、タクシーで空港に移動。名残を惜しみつつnamiさんはマーシャルに帰って行った。なお、ハワイ経由で時間も金もかかる長旅である。次は東京で会いましょう。この後残り三人とスバから来たSさんと4人ではコーラルコーストにダイビングに行った。ホテルはリゾートということであったが、??だった。電気も水を時々止まるし、まあ、値段が値段なので文句はなかったが。夕食は皆で鍋を作った。材料や調理器具が限られているなかで、なかなかおいしくできた。ダイビングは翌日なのでこの日はゆっくりしていた。

12月27日
朝からダイビングに行ってきた。2週間前にライセンス取ったばかりの初心者であるが、水中ではトラブルなく楽しめた。サメが見れて良かった。しかし、波が高く船が揺れたので船酔いしてしまい、船上ゲロ吐いた。それにしてもへそピアスの若者や、ウエットスーツの中で放尿してしまう若者には、私のこれまでの常識と思っていた常識が単なる個人的な思い込みにすぎないことを思い知らされた。
昼過ぎに陸に戻ってきて、ダイビングには行かず、ホテルの敷地でイケメン狩りを試みたものの、うまくいかずにふてくされていたSさんを引き連れて2時半ごろに出発した。皆でナンディまで行って私はラウトカ、他はスバに戻って行った。4連休の内の3日間を有意義に過ごせてよかった。明日はゆっくりして、火曜日からまた仕事をがんばろう。

12月28日
朝の涼しいうちに買い物に行って、後はずっと家にいた。色々たまっていた、雑務をこなした。それにしても金がない。財布に10ドル、銀行口座に4ドルしかない。さびしい年の瀬になりそうだ。

12月29日
連休明け。みんな来ないじゃないかと思ったが、今日は休む職員はいなかった。しかし日本人的には年末仕事納め気分であり、同僚たちの忙しい様子を傍目に眺めながら、のんびり今年やり残した小さい仕事を片付けた。

12月30日
今年もあと2日。やり残した仕事を細々とやっていた。夜から職場の忘年会が会議室であった。時間になってもなかなか始まらないので、フィジアングループに混じってグロッグやっていた。この日は10杯以上飲んだ。9時ごろ帰ってすぐ寝た。

12月31日
今年最後の日。しかし、仕事。しかし、みんなやる気なし。これまでホームステイさせてもらうなど、お世話になってきたベッグさんが他の部署に異動になったのでそのお別れモーニングティーとグロッグがあった。午後も皆やる気がなかった。最後はハッピーニューイヤーといって握手して今年が終わった。明日から以前行ったフィジアンビレッジを再訪して、年明けからまたやる気を出して仕事に勤しみたい。

●過去を振り返って
日本ほどではないが、フィジーも年末は特別という意識はあるみたいだ。年末モードというか、みんなやる気がなかった。

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